高校二年の曽野綾子が案内した箱根のバストリップ(『遠来の客たち』より)
曽野綾子『遠来の客たち』では、接収されたホテルに宿泊する進駐軍関係者たちを主人公波子が箱根のバス・トリップに案内する場面が描かれています。 昭和23年、高校2年生だった曽野綾子は箱根富士屋ホテルで無料のアルバイトをしていたと述べており、英語の得意な彼女は実際に、小説に描かれているような案内をしたのではないでしょうか...
View Article鴎外の恩師ベルツ博士と箱根富士屋ホテル
曽野綾子『遠来の客たち』ご一行のバスツアーから離れて、箱根温泉にゆかりのある「ベルツ博士の碑」があるという旧箱根離宮跡の恩賜箱根公園を尋ねてみました。 公園のほぼ中央に建つのが、かつての離宮を思わせる「湖畔展望館」です。 館内には函根離宮の資料が展示されており、華やかな時代を物語っていました。 ベルツ博士と堂ヶ島の箱根離宮の関係も展示されていました。 2階のバルコニーからの景色です。...
View Article松本清張『蒼い描点』の舞台となった箱根宮ノ下と早川渓谷
今回の箱根の旅の最後に、松本清張の長編推理小説『蒼い描点』の舞台を訪ねました。 若い女性編集者椎原典子が、先輩と協力しながら、女性作家の周囲で続発する怪事件の謎を追跡する、ロマンティック・ミステリーで、名前は変えられていますが、富士屋ホテル、大和屋ホテル、対星館が登場します。...
View Article昭和11年阪神香櫨園に引越して来た少女(河野多恵子『みち潮』より)
河野多恵子は大正15年大阪市生まれ、女性初の芥川賞選考委員となった小説家。西道頓堀の椎茸問屋の娘でしたが、昭和11年に夙川沿い、香櫨園海水浴場の近くに転居します。...
View Article芦屋のひまわり(朽木ゆり子著『ゴッホのひまわり 全点謎解きの旅』から)
『フェルメール全点踏破の旅』の著者朽木ゆり子さんが今年の3月に『ゴッホのひまわり全点謎解きの旅』出版されていました。...
View Article甲陽遊園地の大すべり台を楽しんでいた河野多恵子(『みち潮』より)
学習研究社『現代日本の文学 第五十巻』に掲載されている河野多恵子年譜によると、「昭和8年大阪市立日吉小学校に入学、昭和11年の夏休み、阪神香櫨園の居宅に移る。」と書かれています。 日吉小学校は調べてみると、明治7年創立、今年140周年を迎えた、由緒ある小学校でした。...
View Article『ゴッホのひまわり 全点謎解きの旅』から「白樺美術館構想」
朽木ゆり子さんは『ゴッホのひまわり 全点謎解きの旅』で「芦屋のひまわり」について、旅のはじまりとなった白樺派の紹介をはじめます。<そしてここから、この絵の芦屋への旅がはじまる。その旅を促したのは、大正時代の日本の好況を背景にした理想主義の文学者とそれを支えたひとりの実業家との友情だった。>...
View Article昭和11年阪神香櫨園での郊外生活(河野多恵子『みち潮』より)
河野多恵子さんは昭和11年の夏休み、大阪の日吉用学校から、西宮の建石小学校に転校されました。 『みち潮』を読むと、戦前から小学校の夏休みの宿題には「夏休みの友」があったそうです。戦後生まれの私の小学校時代でも「夏休みの友」でした。今はどうなっているのでしょう。 (写真は昭和24年群馬県の夏休みの友)...
View Article日本に到着した「芦屋のひまわり」(『ゴッホのひまわり 全点謎解きの旅』)
芦屋に住む実業家山本顧弥太が購入したゴッホのひまわりは1920年の12月に武者小路家(実篤の兄の家)に到着します。...
View Articleヴォーリズの設計した大同生命ビル竣工式(玉岡かおる『負けんとき』より)
玉岡かおるさんは『負けんとき』で、大正8年の広岡浅子の最後の場面を、一柳満喜子がヴォーリズとの結婚の報告をした後の場面として描いています。(小説です)...
View Article西宮市立建石小学校に転校した少女の生活(河野多恵子『みち潮』より)
阪神香櫨園に引越した河野多恵子は昭和11年の二学期から建石小学校に通うことになります。 『みち潮』には当時の生活について色々な話題が綴られています。 夏休み中、香櫨園浜で生まれて初めて見た打ち上げ花火、つづいて甲陽公園の大すべり台の話。...
View Article夙川・香櫨園を舞台にした河野多恵子『みち潮』の生原稿がオークションに!
阪神間モダニズムの時代の阪神香櫨園付近での郊外生活の様子が、河野多恵子著『みち潮』に描かれています。そこに登場するのは、これまでご紹介したように、 甲陽遊園地、 香櫨園浜海水浴場 夙川と甲山の風景などです。 なんとその直筆、生原稿が今年の4月にオークションに出品されていたのです。 『 河野多恵子 直筆肉筆 生原稿 小説「みち潮」33枚一括』 既に落札され、落札価格は25260円...
View Article空襲で焼けた「芦屋のひまわり」
「芦屋のひまわり」は二度目の展覧会のあと、「白樺」も白樺美術館構想も立ち消えになり、山本顧弥太は将来その構想が復活するまで絵を預かっておくことにして、芦屋市打出小槌町の自宅に預かり、応接室のソファーの上に掛けられていたそうです。 1945年8月5日夜から6日未明にかけての神戸大空襲で、芦屋の山本家も全焼、「ひまわり」は家とともに焼けてしまいます。...
View Article一柳満喜子が廣岡浅子に会った日のこと(玉岡かおる『負けんとき』より)
玉岡かおる著『ヴォーリズ満喜子の種まく日々 負けんとき』では、廣岡浅子は日本女子大創立のお話から登場します。...
View Article『玉岡かおる25周年記念講演』に参加いたしました
玉岡かおるさんの25周年記念講演に出席いたしました。 会場は同じく25周年を迎えたホテルオークラ神戸平安の間、玉岡さんのこれまでの著書が25という25尽くし。 講演は...
View Article神戸女学院「風見の少年」の描写が文庫本『負けんとき』では変更に
玉岡かおるさんの『負けんとき―ヴォーリズ満喜子の種まく日々』では一柳満喜子とヴォーリズの出会いがロマンチックに描かれています。 その引き立て役が、何度か小説に描かれている音楽館の塔の上の風見です。...
View Articleヴォーリズ設計の廣岡家住宅は西宮にもあった?
W.M.ヴォーリズが大同生命本社ビルや私邸の設計に廣岡家を訪れていたことが、一柳満喜子との結婚のきっかけになったようです。...
View Article夙川から赤い屋根の小径を歩く①(山形政昭『近代建築ガイドブック』より)
谷崎潤一郎は大正15年に『赤い屋根』という小説を発表しており、その街は<繭子の住んでいる家は、大阪と神戸の間、阪急電車の西の宮で乗り換えて、あれから宝塚へ行く線の、とある小さな停車場の近くにあった。>と述べられ、阪神間モダニズムの時代の仁川が舞台でした。 http://nishinomiya.areablog.jp/blog/1000061501/p10995331c.html...
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