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Channel: 阪急沿線文学散歩

『仮面の谷崎潤一郎』震災直後の宿泊先は芦屋の旧友の家

大谷晃一『仮面の谷崎潤一郎』は事実に基づいた評伝で、あとがきには、<小説的表現はあっても、作りごとは含まれていない。ただし、十分に故のある想像による断定などはしている。そして、初めの構想だった“関西における谷崎潤一郎”というのも崩したわけでもない。事実をつかむために多くのおうじ人に会って取材し、別に多くの人をわずらわせて調べた。参考文献を広く集め、これを一度は解体して組み直した。以上の人々と筆者にま...

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谷崎潤一郎は苦楽園六甲ホテルで執筆

関東大震災で芦屋市松ノ内町の伊藤甲子之助邸に一人で避難した谷崎潤一郎は、一旦横浜に戻り、上海丸で家族を連れ、大正12年9月22日に神戸に上陸し、再び伊藤甲子之助の家に落ち着きました。...

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獅子文六『バナナ』移情閣へ

神戸に出てきた龍馬は叔父の天源とキングス・アームスに行き、そこで叔父から、在日華僑最大の豪商と言われた呉錦堂の業績を聞かされ、「わしは、オマイをどないしても、錦堂さんのような大商人にしたい」と言われ、バナナ輸入のライセンスを無料で貰うことになります。...

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昭和34年グルマン・獅子文六が訪ねた神戸の名店

獅子文六は昭和34年に読売新聞に『バナナ』の連載をすることになり、神戸の取材をするとともに、ウマいものの所在を訪ねて歩きました。...

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谷崎潤一郎が阪急夙川の根津家別荘に移るまで

昭和6年、借金が山積し、3千円近い税金滞納もあった谷崎潤一郎は、武庫郡岡本梅ヶ谷(現・神戸市東灘区岡本)の家で、4月に二番目の妻、丁未子との内輪の結婚式を挙げますが、5月には丁未子を連れて高野山に上ります。記者には密教の研究のためと語っていたものの、実は、負債整理で梅ケ谷の家を明け渡すのが目的でした。...

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『猫と庄造とふたりのおんな』モデルは丁未子に譲った愛猫チュウ

昭和7年10月には、既に谷崎潤一郎の心は二番目の妻、丁未子から離れており、友人の妹尾夫妻宛書簡から、松子と結婚するにしても当面は結婚の形をとらず、また丁未子にも確定として話さないほうがよいか、根津清太郎の心中もまだ不明、森田家で承諾するやも不明、丁未子へはどう話したらよいか、などと思案していたことが窺われます。大谷晃一『仮面の谷崎潤一郎』からです。<「かわいそうや」と妹尾は潤一郎に、丁末子が結婚する...

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昭和9年谷崎が松子と暮らした芦屋の家

昭和9年3月になって、ようやく根津との間に離別の話がつき、長男の清治は父親の根津が、長女の恵美子は母親の松子が養育することになり、谷崎潤一郎は、武庫郡本山村北畑にあった文化住宅風の家から、武庫郡精道村打出下宮塚一六番地(芦屋市宮川町十二番地)に転居します。谷崎自筆の地図です。大谷晃一『仮面の谷崎潤一郎』からです。大谷晃一は『細雪』から、芦屋の家を描いた文章を引用し、紹介しています。<”蘆屋...

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谷崎潤一郎が『文章読本』など執筆した芦屋の家

昭和9年になって、ようやく根津と松子の間に離別の話がつき、谷崎潤一郎は芦屋市宮川町に、松子と松子の長女の恵美子を連れて移り住みます。しかし、そこでの生活は普通の夫婦生活とは異なり、谷崎が松子をミューズに祀り上げ、いわば『春琴抄』の佐助ごっこを繰り広げていたのです。...

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谷崎潤一郎『潤一郎譯源氏物語』に欠かせなかった三姉妹

昭和11年1月、谷崎潤一郎は丁未子との離婚届を提出さしたあと、芦屋打出の家で松子と祝言をあげます。...

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キャサリン・ゴヴィエが描いた葛飾応為の物語

 キャサリン・ゴヴィエ『北斎と応為』(原題;The Ghost...

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