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Channel: 阪急沿線文学散歩
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ヴォーリズの設計した大同生命ビル竣工式(玉岡かおる『負けんとき』より)

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 玉岡かおるさんは『負けんとき』で、大正8年の広岡浅子の最後の場面を、一柳満喜子がヴォーリズとの結婚の報告をした後の場面として描いています。(小説です) <「しっかりして。浅子ママ。お願いです。目を開けて」「お母ちゃん、お母ちゃん!たのむわ、しっかりしてえな。お母ちゃーん!」神よ、この人の魂を逝かせないでください。皆が必死で浅子を呼び続ける。苦痛から逃れ飛び立とうとする魂を、それぞれがなんとかつなぎ止めようと思いを込めてただ呼んだ。一月十四日、九回転んでも転びっぱなしににはならず十回起きた広岡浅子。だが十一回目の回帰はなく、この日その豪放な人生の幕を閉じた。享年七十歳だった。> (大同生命大阪本社メモリアルホール特別展ポスターより)  また大同生命本店ビルの竣工時の様子も詳しく描かれていました。 <浅子の悲願であった大同生命本店ビルは、二年八ヶ月の工期をかけて十四年に竣工を果たす。総工費三百万円、動員数延べ十五万人、空前絶後の建築物だった。「軒だか百尺でっか。なんちゅう偉容やろ、目がくらみますわ」「外も内もぜんぶアメリカで焼かせたテトラコッタ貼りの豪華なデザインやて」 大阪の中心を流れる土佐堀川と四ツ橋筋の交わる地点に、それは商都大阪の象徴ともいうべきランドマークとして出現した。白亜の建物の周囲の壁には船のとも綱を結ぶためのピナクル -ゴシック建築にみられる尖塔がぐるりを飾る。> この社屋は1990年に解体され、再び一粒社ヴォーリズ建築事務所の設計により現在のビルに建て替えられましたが、旧ビルの最上階にあったピナクルの部分は現在も建物の横に記念として保存されていました。 <中に入れば、そこは堂々たる広さを擁した殿堂であり、どっかりと天井をささえる大理石の柱の力強さは、建物に生命すら感じさせた。とりわけ、まろやかな曲線を描くらせん階段の優美さは、そこで働く人、訪れる人、この建物に入る全ての人を豪華で晴れやかな気分にする。床の大理石、ドアの取っ手、会議室の壁の腰板など、細部まで手を抜かず特注で思いを凝らした、ヴォーリズ建築を代表する作品といえた。「浅子ママが見たなら、きっと子供のように大喜びしたでしょうね」>  大同生命 特別展示 『大坂屈指の豪商「加島屋」からの400年の歩み』を見に、建物の内部も見せていただきました。 建て変わった大同生命本社ビルのエントランスホールの吹き抜け上部には、旧営業室の光天井が復元されており、現在でもその豪華さに驚かされます。 旧ビルのまろやかな曲線を描くと表現された優美ならせん階段の写真です。 またメモリアルホールはチューダー式アーチなど、旧ビルのネオゴシック様式を受け継ぐデザインで、営業室柱頭も復元されていました。 旧ビルで使われていた大理石に約1億年前の白亜紀に生息していたアンモナイトの化石が含まれていたと、その大理石が展示されていました。 <ビルのお披露目には、各界から招待客を招き、竣工披露パーティは実に十日間におよぶほどで、まさにこのビルの出現はお祭り騒ぎに値する時代の象徴なのだった。>当時はセンセーショナルな建築物だったことが想像できます。

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