W.M.ヴォーリズが大同生命本社ビルや私邸の設計に廣岡家を訪れていたことが、一柳満喜子との結婚のきっかけになったようです。
さすが大富豪の廣岡家ですから、私邸はいくつもあったようで、玉岡かおる『負けんとき』では次のように述べられています。<廣岡家へのメレルの来訪はますます足繁くなっていた。森の本邸とほぼ同時に、芦屋にも別荘の新築計画が進んでいたからだ。本邸はダブルハウスと名付けられているように、浅子の老後を恵三夫妻がみられるように考案した家である。> 森の本邸とは江戸堀からは二つの川をはさんで北側にある曾根崎の森と説明されています。<廣岡家はこの前後にも、麻布の東京邸を筆頭に、神戸、芦屋、目白、京都と、個人邸だけでも数軒をヴォーリズ建築事務所だけに依頼していた。恵三が社長を務める大同生命本社ビルの大工事もこの数年後に着工する。>
廣岡恵三夫妻、ヴォーリズ夫妻の写っている写真もどこかに新築された私邸でしょうか。(大同生命大阪本社で特別展示された写真です)
個人邸のことですから、いかにヴォーリズの作品といえども、詳しい記録はあまり残っていません。更に調べていると、山形政昭大阪芸術大学教授が著された「ヴォーリズの建築」に個人住宅の作品リストがありました。
そこには、K.廣岡邸は 1916年東京都 神戸市 1918年 大阪市 1929年 東京都の4邸が記されていましたが、芦屋の廣岡邸の記録はありません。
古川智映子『土佐堀川』では私邸について、次のような記述があります。
<二千坪の敷地に建つ天王寺の家、東京麻布の別荘、御殿場の二の岡の別荘、亀子に与えられる芦屋の森の家、…> こちらの小説では森の家とは芦屋の家となっており、六甲の麓の丘陵三つ、約四万坪を購入し、家を建てる場所と庭造る分だけ木伐って、あとは自然の森のままにしとこうと、ヴォーリズに設計を依頼します。 小説とはいえ、あまりにも具体的な記述なので、神戸(御影や岡本のあたり?)の邸宅でしょうか。神戸のK.廣岡邸の写真は残っていました。
ところで『近代建築ガイドブック関西編』で山形教授が夙川の廣岡邸の存在が記されているのを、ふくさんが「夙川のヴォーリズ建築 記憶から」と題されて紹介されていました。http://nishinomiya.areablog.jp/blog/1000061521/p10757832c.html
<西宮雲井町から殿山町付近には大正末期より昭和にかけてのスパニッシュ住宅が飛石のように散在している。夙川駅を西に出て雲井橋を渡るあたり、ゆとりのある邸内の緑が道に溢れて閑静な住宅地を形成しているが、この付近がようやく宅地化されつつある大正11年にヴォーリズの設計で広岡邸が竣工した。>このあたり、以前何度も須賀敦子さんの歩いた道を探して散策したことがあります。
久しぶりにヴォーリズの設計した住宅が昔は沢山あった雲井町、殿山町を歩いて、西宮のK.廣岡邸跡地も探してみましょう。
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