今回の箱根の旅の最後に、松本清張の長編推理小説『蒼い描点』の舞台を訪ねました。
若い女性編集者椎原典子が、先輩と協力しながら、女性作家の周囲で続発する怪事件の謎を追跡する、ロマンティック・ミステリーで、名前は変えられていますが、富士屋ホテル、大和屋ホテル、対星館が登場します。 小説の冒頭は<椎原典子は、新宿駅発午後四時三十五分の小田急で箱根に向かった。>と始まります。典子は終点の箱根湯元駅から、タクシーで女性作家の村谷阿沙子の宿泊している宮ノ下の杉ノ屋ホテルに向かいます。
この「杉ノ屋ホテル」とは箱根富士屋ホテルらしく、赤絨毯などフロントの様子が描かれていました。 しかし翌朝、村谷阿沙子は近くの坊ヶ島の対渓荘(堂ヶ島の大和屋ホテルがモデル)に移ってしまいます。<しかし、とにかく、いまは村谷阿沙子の隣の旅館に移ることが先決だった。典子は女中さんを呼んだ。「坊ヶ島という温泉は、旅館が二軒しかございまん。」中年の女中は微笑して教えた。「へえ、そんな辺鄙なの?」
「いいえ、辺鄙というわけじゃありませんが、谷底になっていて、宮ノ下の温泉場からケーブルで降りる仕かけになっています。」 箱根にはあまり詳しくない典子は、今までそれを聞いたことがなかった。「一軒は対渓荘さんで、一軒は駿麗閣さんです。どちらも専用のケーブルカーを引いておられます。」村谷阿沙子は対渓荘に滞在しているのだから、典子はその駿麗閣という旅館に泊まるほかはなかった。>
対渓荘は大和屋ホテル、駿麗閣は対星館がモデルとなったようです。実際に松本清張は執筆に際し、大和屋ホテルに逗留したそうです。
箱根富士屋ホテルを出て、少し歩くと「宮ノ下ノスタルジック散歩路」という案内図がありました。
絵地図を見ると、このあたりの古い建物や嶋写真店のある国道1号線はセピア通りと名づけられています。
「チェンバレンの散歩道」を下っていくと小説の舞台となった大和屋ホテルと対星館が並んでいます。
英国人バジル・ホール・チェンバレンは、19世紀後半~20世紀初頭の最も有名な日本研究家の一人で、Things Japanese などを著しています。富士屋ホテルを常宿とし、この谷沿いの道を愛し、読書と執筆の合間の思索の供としていたそうです。そのチェンバレンが歩いた道が、堂ケ島遊歩道として整備され、チェンバレンの散歩道と呼ばれているそうです。私もチェンバレンの散歩道を歩いて、小説の舞台となった大和屋ホテルと対星館を訪ねることにしました。
チェンバレンの散歩道の入り口に行くと、堂ヶ島渓谷入り口の看板と大和屋ホテルのロープウエイの駅がありました。
小説では二つの旅館のケーブルカーについて述べられています。
<旅館専用の空中ケーブルは、宿が違うから二つあるわけだが、最初のほうは対渓荘(大和屋ホテル)降り口と看板が出ている。この宿に村谷阿沙子が今朝移ったのである。典子はそれを眺めて、百メートルばかり歩くと、今度は駿麗閣(対渓館)降り口の看板があった。>
<ケーブルカーは小さくてかわいかった。六人乗りということだったが、客は典子一人で、その若い男が運転台に立った。>
昨年から大和屋ホテルも対渓館もリノベーションのため休館中で、大和屋ホテルの建物は既に壊されていました。
夢窓橋から見える対星館です。
最初の殺人はこの早川渓谷で起こります。<現場は、駿麗閣の庭から三十メートルばかり離れていて、早川渓谷が四十メートルの断崖の下で終わったところにあった。大きな石塊がごろごろしている。泊り客や宿の雇い人などが、二十人ばかりも集まって見物していた。>
私はこのあと堂ヶ島散歩道を楽しんで帰りましたが、小説のほうも面白い展開でした。
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