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Channel: 阪急沿線文学散歩
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夙川から赤い屋根の小径を歩く①(山形政昭『近代建築ガイドブック』より)

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谷崎潤一郎は大正15年に『赤い屋根』という小説を発表しており、その街は<繭子の住んでいる家は、大阪と神戸の間、阪急電車の西の宮で乗り換えて、あれから宝塚へ行く線の、とある小さな停車場の近くにあった。>と述べられ、阪神間モダニズムの時代の仁川が舞台でした。 http://nishinomiya.areablog.jp/blog/1000061501/p10995331c.html 『近代建築ガイドブック[関西編]』でも山形政昭教授が「赤い屋根の小径」と題して阪急夙川の雲井町、殿山町付近のスパニッシュスタイルの住宅について解説されており、以前ふくさんが紹介されておりました。 http://nishinomiya.areablog.jp/blog/1000061521/p10757832c.html  山形政昭教授の「赤い屋根の小径」はスパニッシュ建築の説明から始まります。<スペイン瓦の赤い屋根、スタッコの荒い白壁、深い陰りを作るアーチ形のポーチや窓がスパニッシュスタイルの住宅は、阪神間住宅地の山手辺りの風致によく馴染んでいる。>  既に取り壊されましたが、雲井町にあった赤い屋根のヴォーリズ建築ヨスト邸です。 さらにヴォーリズの設計による大同生命二代目社長廣岡恵三邸が、雲井町が宅地化された初期に建てられたことが記されていました。<西宮雲井町から殿山町付近には大正末期より昭和にかけてのスパニッシュ住宅が飛石のように散在している。夙川駅を西に出て雲井橋を渡るあたり、ゆとりのある邸内の緑が道に溢れて閑静な住宅地を形成しているが、この付近がようやく宅地化されつつある大正11年にヴォーリズの設計で広岡邸が竣工した。> 上の絵は夙川パボー二の大石輝一が遺した殿山町の洋館風景。    阪急夙川の片鉾池付近には、明治時代から大正2年まで香櫨園遊園地がありましたが、大正7年には大神中央土地開発(株)が住宅地経営を開始しています。  夙川自治会発行「夙川地区100年のあゆみ」によりますと「羽衣町、霞町、松園町、雲井町、殿山町」という町名や通りの名前も大神中央土地(株)が古典にもとづいた、めでたい名前を選んでつけたそうです。 先日、大同生命大阪本社の特別展示を見学させていただいたことから、ヴォーリズ設計の廣岡邸につながり、久しぶりに雲井町あたりを訪ねてみることにしました。  夙川駅から雲井橋に向かうと、雲井稲荷があります。横に夙川自治会の解説があり、雲井町にあった社殿が阪神淡路大震災で倒壊し、ここに移設されたとのこと。  雲井橋は大正10年阪急線以北の開発のため架けられたそうですが、昭和10年に木製から鉄筋コンクリート製に架け替えられており、当時の写真を見ると、現在もそのままの姿です。 その雲井橋を渡り、雲井通りをしばらく歩くと、昔の面影を残す児童遊園が右手に見えてきました。 ここが元の雲井稲荷があった場所のようです。『夙川地区100年のあゆみ』に昭和10年~15年の頃の雲井稲荷の絵が掲載されえていました。 雲井稲荷は大正10年に大神中央土地(株)が豊川稲荷明神の御分身をお祭りし、昭和30年の同社解散にあったて、夙川自治会に寄贈され、社殿を北側に移し、境内に児童遊園を設けたそうです。 この階段のところに昔は鳥居があったのでしょう。 入り口の雲井児童遊園の石碑の後ろには、大神中央土地株式会社と刻まれていました。 さらに殿山町の方へ歩いてみます。

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