「G線のめぐり逢い」(『セレナーデ神戸』第四篇より)
『セレナーデ神戸』 第四篇で登場するのは、広告制作の仕事をする室田芳雄とマダム梨香です。二人は三宮センター街の喫茶店G線で落ち合います。<戦後の混乱がやや落ち着いた1952年ごろ、三宮センター街に一軒の喫茶店が新登場した。それからほぼ八、九年かけてこの店は改装を重ねる。やがて提供するメニューと店舗の全体像を固めた喫茶店は、爆発的な人気店となった。>...
View Article西宮の鰯売りのお話(岩谷時子『愛と哀しみのルフラン』より)
岩谷時子さんの『愛と哀しみのルフラン』で、最初に西宮に住んでいた頃の話題が出て来るのは「美味しさとは」と題したエッセイです。 <今日までの暮らしのなかで、いちばん美味しいと思って食べたものは、なんだったかと考えてみた。たちまち頭に浮かんだのは「明石で漁れたいかなご」「麦わらで巻いた郷里のかまぼこ」…なんのことはない。すべて食料の乏しい戦時中、ようやく手に入れた食べ物ばかりである。>...
View Article神戸オリエンタルホテル(『バラード神戸』第五編愛しのホテルより)
田中良平著 『バラード神戸』第五編の主人公はオリエンタルに長年勤務していた内田修平です。 修平は現在はプチホテル北野の相談役、そこへ出版社編集者の桃花が訪ねてきて、神戸のオリエンタルホテのお話が始まります。...
View Article岩谷時子さんの西宮の海(『愛と哀しみのルフラン』私の歳時記から)
岩谷時子さんのエッセイ、私の歳時記「七月 そら豆と海水浴」からです。 <小学生時代、夏になるといつも西宮の海に行った。そのころ、海辺では、煎ったそら豆ひと握りほど、晒木綿の袋に入れたのを売っていて、大人も子供も、これを腰に下げて泳いだ。...
View Article昭和39年の甲陽学院高校が舞台となった風見梢太郎『浜風受くる日々に』
風見梢太郎『浜風受くる日々に』は2008年にしんぶん赤旗に連載された小説で、北陸の小都市の中学から甲子園球場のすぐ傍にあるK高校に編入した主人公哲郎の高校2年生の1年間を綴った作品です。 下の写真はノボテル甲子園の敷地にある甲陽学院発祥の地の石碑の裏側にはめ込まれた甲陽学院高校の姿です。...
View Article昭和の初め西宮の春の風景(岩谷時子さんの「好きな季節」より)
岩谷時子さんは『愛と哀しみのルフラン』で「好きな季節」と題して、<冬と春との、ちょうど間にあたる、三月に生まれた私は、四季のうちでは春、それも春の初めが、いちばん好きな季節である。>と述べられています。...
View Article昭和39年甲陽学院(『浜風受くる日々に』の舞台となった関西の伝統校)
風見梢太郎『浜風受くる日々に』では主人公波多野哲郎が高校から編入学した昭和38年前後の関西の伝統校K高校が舞台となっています。 上は昭和11年の旧制甲陽中学が描かれた吉田発三郎の鳥瞰図です。 第一編「編入生」に昭和39年の甲子園駅近くの高校の風景が描かれています。<校門を出た哲郎は、頬が火照るのを気にしながら駅に向かった。...
View Article岩谷時子さんは西宮のどこに住んでおられたのでしょう?
岩谷時子音楽文化振興財団のホームページ「岩谷時子の歴史」によると、大正5年京城生まれの岩谷さんは、幼少期から15年近く西宮に住まれたそうです。年譜では、昭和8年市立西宮高等女学校卒業(修業年限5年)神戸女学院英文科入学昭和10年神戸女学院英文科卒業(52期生)女学院時代から「宝塚グラフ」「歌劇」に投稿昭和14年秋、宝塚歌劇団出版部...
View Article『浜風受くる日々に』に登場するヴォーリズの神戸女学院
『浜風受くる日々に』の著者風見梢太郎氏はこの作品を著した理由の一つとして「失われつつある阪神地方の広い意味の文化遺産を書き留めておきたかった。」と述べています。その小説の舞台として登場する文化遺産の一つが神戸女学院です。...
View Article『浜風受くる日々に』に登場するF.L.ライトのヨドコウ迎賓館
『浜風受くる日々に』の主人公波多野哲郎は夏休みの終わり近くに級友で東京から編入学した青山の家を訪問します。青山の家は阪急芦屋川駅から川沿いの急坂を十五分ほど上がった大きな家です。 (写真は芦屋川の開森橋から芦屋浜を臨む) 家でミサ曲のレコードを聞いた後、青山は哲郎を散歩に誘います。 青山の家は上の写真の坂道を上がったところにあります。...
View Article文房具マニア 岩谷時子さんの銀座・伊東屋
岩谷時子さんは昭和26年に宝塚から東京に移られましたが、エッセイ『銀座 私の東京』で、東京生活について、<芸能会から今も足が洗えず、日比谷界隈の劇場でばかり仕事をしている私は、長い東京生活にもかかわらず、行くところといえば銀座周辺しかないので、他の場所は、困ったことに、まるで知らないといっていい。歌舞伎座のある築地と、銀座と、有楽町、丸の内だけが、私の東京なのである。>と述べられています。...
View Article『浜風受くる日々に』に描かれた甲子園ホテル(その1)
風見梢太郎『濱風受くる日々に』で文化祭の日、波多野哲郎は新聞部の部室で木下と雑談し、帰る段になって甲子園ホテルを見に行くことにします。...
View Article『浜風受くる日々に』に描かれた甲子園ホテル(その2)
昭和39年『濱風受くる日々に』で哲郎と木下は甲陽学院高校から甲子園ホテルまで歩きました。 昨年テレビで放映された建設当時の甲子園ホテル。枝川を堰止めて建てられていることがよくわかります。...
View Article田中純著『フェルメールの闇』
唐突ですが、フェルメールのファンです。フェルメールの絵に惹かれるのは、光と影の天才画家といわれる技法もさることながら、その絵に中世に暮らす人々の物語性があり、鍵穴から覗くPeeping Tom的な密やかな楽しみがあるからでしょうか。...
View Article岩谷時子さんも須賀敦子さんも感傷深く語る「ティペラリィ」の歌
岩谷時子さんは『愛と哀しみのルフラン』の「お金はないけど愛があった」というエッセイで、父上の思い出を語り、「チッペラリー」の歌について述べられています。 岩谷さんが西宮に住んでおられた頃の話です。<父は運の悪い人だった。時勢にのりおくれ、人に騙され、仕事も転々と変わった。世の中も不景気だった。私たちは決して豊かではなかったが、家の中はいつも平和だった。>...
View Article田中純『フェルメールの闇』から「小路」
ミステリー小説 田中純『フェルメールの闇』の最初の章は「小路」です。 表題には<裏通りのレンガ造りの建物の正面、戸口で針仕事をする女、奥で水仕事をする女、路上で蹲って遊ぶ子供が静物のように配され、静謐で不思議な世界を提示する。>という著者の解説がつけられています。(写真はフェルメール光の王国展から)...
View Article六甲山耐寒登山とパラボラアンテナ(『浜風受くる日々に』より)
風見梢太郎『浜風受くる日々に』を読んでいると、昭和39年頃甲陽学院では六甲山耐寒登山が開催されていたようです。 コースは芦屋の奥池から宝殿橋経由で一軒茶屋まで登り、山上の縦走路を経て寒天山道を下り白鶴美術館に至るコースです。 主人公波多野哲郎は、その年の耐寒登山で体を動かすことがひどく苦手な脇田の世話をすることになり、疲労困憊した脇田と一軒茶屋で休憩します。...
View Article大手前大学さくら夙川キャンパスでSF作家堀晃氏の文芸講演会
7月12日(土)さくら夙川キャンパスでSF作家堀晃氏の文芸講演会が開催され、参加させていただきました。 演題は「SFと関西 ―阪神間を中心に― 」ということで阪神間に関わりのあるSF作家とその作品のお話です。 講演いついては堀氏のブログ『マッドサイエンティストの手帳』でも述べられています。http://www.jali.or.jp/hr/mad-j.html...
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