風見梢太郎『浜風受くる日々に』では主人公波多野哲郎が高校から編入学した昭和38年前後の関西の伝統校K高校が舞台となっています。
上は昭和11年の旧制甲陽中学が描かれた吉田発三郎の鳥瞰図です。
第一編「編入生」に昭和39年の甲子園駅近くの高校の風景が描かれています。<校門を出た哲郎は、頬が火照るのを気にしながら駅に向かった。 改札口のある建物の中は森閑としていた。甲子園駅の改札口は二つあり、哲郎たちが利用する西側の小さな改札口は、野球観戦の客が通過する改札口とは違っていた。いわば、K高校の生徒専用のようになっていたので、通学時以外は改札口が混雑することはなかったのだ。>
現在の甲子園駅の西改札口はダイエーもあり、大きくなって賑わっています。今回の改装工事で更に大きく変わることでしょう。
学校の窓からの見える風景として、今津っ子さんが紹介されていた今はなき大阪ガスの球形タンクも当時の甲陽学院から見えていたようです。http://imazukko.sakura.ne.jp/nishinomiya-style/blog/imazukko/C.html<哲郎は窓の外に目を向けた。瓦屋根を連ねる民家のずっと向こうに、複雑に絡み合う曲がりくねった配管の群れや丸いガスタンクや太い煙突が見えた。>
さらに哲郎はK高校の戦前の学校新聞のバックナンバーを見て想像します。<写真に写っている松の木の並び具合に見覚えがあった。校門を出たところに土の盛り上がった低い土手のようなものが続いていて、その上に茂る松林と形が似ていた。駅前の広場をはさんで向こう側にも同じような土の盛り上がりと松の林がある。 昔はあの二つの松並木の間をこんなきれいな川が流れていたのだろう、と哲郎は思った。>
昭和40年前後はまだ松林がかなり残っていたようです。
第二章ではその川について、主人公と佐武との、こんな会話もでてきます。<「それはそうと、こっから松林が見えるやろ、校門のすぐ向こう」哲郎はそう言って指を指した。明るい日差しの中で高々と聳える松の林がひどく立派だった。「ああ、それがどうした」「あれ何か知ってるか」「知らん」「あれなあ、川の上に植えられた松並木や」「ふーん」「もう一つ見えるやろ、向こうに、松林が」「ああ」佐武は目の上に手をかざした。「あの間に、川が流れてたんや。枝川いう」「そんなこと、なんで興味あるんや」「まあ、面白いやないか、このあたりの昔のことも」「変なことに関心持つやつやなあ。そんなことに貴重な時間を費やすなんて、あほらし」>
現在でも松並木があったとわかるのは甲子園駅を出て東側の松です。この東側には佐藤愛子さんが住まれていた家がありました。
まだ枝川が流れていた明治時代の地図です。枝川から申川が更に西に分かれます。その分岐点が現在の甲子園園球場の位置です。
昭和5年の甲子園住宅経営地鳥瞰図です。
甲陽学院のグラウンドに沿ってある松並木は申川に沿ったものでしょう。
甲陽学院高校は昭和53年に角石町に移転し、その跡地にはノボテル甲子園が立てられています。
駐車場の横には甲陽学院発祥の地の石碑が建てられています。この石碑について、既にもしもしさんが「消えたお稲荷さん」として記事にされています。http://nishinomiya.areablog.jp/blog/1000080132/p11031468c.html
行ってみると確かにお稲荷さんは移されたようで、敷石が途切れて跡地に若い芝が生えていました。
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