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Channel: 阪急沿線文学散歩
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六甲山耐寒登山とパラボラアンテナ(『浜風受くる日々に』より)

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 風見梢太郎『浜風受くる日々に』を読んでいると、昭和39年頃甲陽学院では六甲山耐寒登山が開催されていたようです。  コースは芦屋の奥池から宝殿橋経由で一軒茶屋まで登り、山上の縦走路を経て寒天山道を下り白鶴美術館に至るコースです。  主人公波多野哲郎は、その年の耐寒登山で体を動かすことがひどく苦手な脇田の世話をすることになり、疲労困憊した脇田と一軒茶屋で休憩します。 <脇田は甘酒を飲み終えると、畳の上に大の字になって動かなくなった。水滴で曇った窓ガラスを通して、峰を越えてきた雪が深い谷に落ちていくのがかすかに見えた。 体が暖かくなると、哲郎はさっき見た不思議なものが気になり始めた。「先生、僕さっき変なものを見たんです。とっても大きくて御椀のような形をした不気味なものやったんです」> 六甲山最高峰には米軍の巨大パラボラアンテナがありました。大戦中は旧陸軍の高射砲陣地があり、戦後米軍が接収し、巨大なパラボラアンテナを設置したそうです。 Webで調べると1992年の写真が日本共産党兵庫県委員会発行のWeb版「兵庫民報」に掲載されていました。    私が小学生の頃、下界から見る六甲山のパラボラアンテナはただ珍しいだけでしたが、色々なご意見がありました。<あれはパラボラアンテナや、米軍のな。この山の一番高いところに二つ建ってるんや」「パラボラって電波を出すやつですか」「そうや」「米軍のアンテナ言うたら、ここからアメリカまで電波飛ばしてるんですか」「まさか、いくらなんでもマイクロ波はここから直接アメリカまでは飛ばん。日本の中の米軍基地の間を飛ぶ回線なんや」「ここの電波はどこにいってるんですか」「東は箱根の大観山、そこから座間、府中、横須賀」中澤はそう言って、くもった窓ガラスに地図を書き始めた。「西の方はなあ、呉の灰ヶ峰から福岡の背振山、そこから分かれて、一つは対馬を経て韓国のチャンサンへ、もう一つは鹿児島から沖縄の嘉手納基地につながっているんや」「そうですか、全然知りませんでした」「日本の山も空も海も米軍が我が物顔や、危険なことやな」中澤は苦々しい表情になってそう言った。>  子供の頃は、平地からも二つのパラボラアンテナが見えていましたので、六甲山最高峰の場所がよくわかりました。  今はどうなっているのかと登ってみると、現在も大きな電波中継塔があり、柵で囲われていました。掲示物がなかったので、よくわかりませんが自衛隊の所管でしょうか。 六甲山最高峰の碑を次々とハイカーが訪れ、記念撮影していました。   傍には一等三角点もありました。 私には六甲山のパラボラアンテナも懐かしい記憶です。

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