岩谷時子音楽文化振興財団のホームページ「岩谷時子の歴史」によると、大正5年京城生まれの岩谷さんは、幼少期から15年近く西宮に住まれたそうです。年譜では、昭和8年市立西宮高等女学校卒業(修業年限5年)神戸女学院英文科入学昭和10年神戸女学院英文科卒業(52期生)女学院時代から「宝塚グラフ」「歌劇」に投稿昭和14年秋、宝塚歌劇団出版部 入社。http://iwatanitokiko.org/profile/history.htmlとなっていますから、神戸女学院卒業の頃まで西宮に住まれていたようです。
神戸女学院が神戸の山本通りから岡田山キャンパスに移転したのが昭和8年のことですから、できたばかりのヴォーリスの校舎、図書館で過ごされたのではないでしょうか。
その姿を想像するだけで楽しくなります。
『愛と哀しみのルフラン』から岩谷さんが西宮のどのあたりに住まれていたのか探ってみましょう。「お金がないけど愛があった」で西宮へ移られてきた経緯が書かれています。<京城の生活が父の肌に合わなかったのか、私が二、三歳のころ、東京へ帰ったが、ここでも落ち着ける仕事に恵まれなかったらしく、私の学齢近く関西へ移り、一家はその後十五年近く、西宮に住んでいた。>私の歳時記「四月 春の思い出」では<不思議な話だが、私は小学校に入る前から学校へ行っていた。近所に八重子さんという名の小学生がいて、そのお姉さんに、くっついて教室に入っていたのである。>
この小学校は 「グラフにしのみや」の「思い出の町よ」に書かれていた水抜小学校(現浜脇小学校)です。西宮に移られた最初は水抜町(浜脇町)に住まれたようです。 その後安井小学校に変わられています。『愛と哀しみのルフラン』の「子は親に従え」では、<私たち親子は、西宮市のなかでも、水抜町、寿町、安井町……と、よく家を移った。あれは安井小学校へ通っていた頃だったと思うが、私の家の前には、Mさんという娘さんばかり多勢いる家があった。>と書かれており、西宮市内を何故か転々とされていたことが伺えます。鉄道の土手に登ったというお話は、きっと安井町か寿町に住まれていた頃のお話でしょう。「お金がないけど愛があった」で市立西宮高等女学校へ入学されたことが書かれています。<父と母は、私を充分愛してくれた。女学校へ入るときは、とにかく歩いて通える学校へ入れていった。幸い歩いて通えるところに市立の西宮高等女学校があって受験した。>
市立西宮高等女学校は建石町にあったと思っていましたが、吉田初三郎の鳥瞰図で、西宮東口の近くにあったことがわかりました。岩谷さんは「好きな季節」で<西宮といっても、夙川、甲子園、今津などを転々としていたので、これはどこに住んでいたときのことか定かではないが、今も忘れられない一つの風景がある。>と書かれており、西宮高女時代は歩いて通える今津あたりに住まれていたのでしょうか。
<父は、お前に残してやる財産がないから、その代わりに学校へ行きなさいといって、女学校を卒業した私を、神戸女学院へ入れた。神戸女学院は、アメリカ人によって創立された学校である。当然アメリカ人の先生がたくさんいて英語の授業が多い。 西宮高女は良妻賢母を育てる学校で英語は「缶詰のレッテルが読める程度でよろしい」ことになっていた。私は授業に出て宿題が出されても、宿題を出されたことさえわからない。>
岩谷さんはアメリカ人教師による文学部英文科の授業には苦労されたようです。
(写真は文学館)
良妻賢母を育てるという西宮高女、岩谷さんが卒業された年の7月に与謝野晶子が招かれて講演されています。
また昭和9年には校歌を与謝野晶子が作詞していました。さすがの詞でしたので、最後に長くなりますが、引用させていただきます。http://iaozora.net/ReadTxt?filename=akiko_shihen_shui.txt&card_id=2558&person_id=885&from=133353&guid=ON
与謝野晶子 昭和9年西宮市立高等女学校校歌
自(みづか)ら春の園に入り 花を作るも勇みあり。 況(ま)して自ら楽みて 学ぶ我等の気は揚がる。
この楽しみを共にして、 あまた良き師に導かれ、 ここに学べる朗らかさ、 西宮(にしのみや)なる高女生。
北には六甲、東には 生駒山脈そびえたり。 我等ながめて、永久(とこしへ)の 山の力に励まさる。
大坂湾の大(だい)なるに、 紀淡海峡遠白し。 我等ながめて、おのづから、 内の心を濶くする。
日本の少女(をとめ)いそしむは 古き世からの習ひなり。 我等おのおの身を鍛へ、 常に凜凜しき姿あり。
我等の愛は限り無し、 自然、道徳、学の愛、 家庭、交友、国の愛、 国の内外(うちと)の人の愛。
是等の愛を生かすため、 善を行ひ、智を磨き、 女子の我等も、大御代に 永く至誠の民たらん。
我等は思ふ、御代の恩、 更に師の恩、親の恩。 謝せよ、互に学べるは 高き是等のみなさけぞ。
我等は嫌ふ、軽佻を、 無智を、惰弱を、妄動を。 起れ、聡明、堅実の 清き日本よ、我等より。
ああ、もろともに祝ひなん、 西宮なる高女生、 ここに学びて樹(た)つるなり。 斯かる理想の光る旗。
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