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Channel: 阪急沿線文学散歩
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岩谷時子さんの神戸女学院

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 岩谷時子さんはエッセイ『この古風なコメディ・私自身のこと』で、昭和8年、岡田山移転直後の神戸女学院で学ばれた思い出を述べられています。 <神戸女学院時代は、若き日の私にとって、いちばんすてきな時代であった。金髪の先生方と廊下ですれちがい、流暢な英語を話す綺麗な中国人の上級生もいた。一週間ごとに、新しい聖句を覚え、好きな聖句をブルーのリボンに胡粉で書いて、友達と交換したりした。同級生は、みんな私より大人で、ウビガンの白粉をつけている人もいた。若さが、どんな苦しみもバラいろに変えてくれる、人生でただ一度のときだったような気がする。> 金髪の先生方とすれちがったと語られている、文学館の廊下です。   講堂南側の廊下です。   ヴォーリズの設計した、それぞれの建物を結ぶ回廊です。  岩谷さんが神戸女学院で学ばれた時の院長は、岡田山移転に尽力されたC.B.デフォレスト院長でした。また当時キャンパス内には大小三つのヴォーリズの設計による宣教師住宅があったそうです。 写真のケンウッド館にはデフォレスト院長はじめ、神戸女学院で教鞭をとった宣教師の先生方が居住していたそうです。 <卒業式には、従姉にもらった、渋いワインカラーの着物に紺の袴をはき、下級生に祝福されながらチャペルへ入場した。同級生と別れるときは、ひとりひとりが、クラスメートの差し出す賛美歌をひらき自分の好きな歌の頁にサインをしあった。> 昭和10年に卒業式が行われたチャペルとは第四代院長スーザン・アンネット・ソールを記念する礼拝堂、ソールチャペルのことでしょう。 岩谷さんは、賛美歌五五七番にサインをされたそうです。   むくいをのぞまでひとにあたえよ…….

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