ミステリー小説 田中純『フェルメールの闇』の最初の章は「小路」です。
表題には<裏通りのレンガ造りの建物の正面、戸口で針仕事をする女、奥で水仕事をする女、路上で蹲って遊ぶ子供が静物のように配され、静謐で不思議な世界を提示する。>という著者の解説がつけられています。(写真はフェルメール光の王国展から)
物語は贋作に携わっている嶋田がアムステルダム国立美術館を訪れるシーンから始まります。<九月になったばかりだというのに、アムステルダムの運河を渡って来る風は意外なほど冷たかった。冷やりとした頬の感触に、美術館の外に一歩出た嶋田は端正な顔をしかめ、空を見上げると、半袖のポロシャツの肩に掛けた紺色のサマーウールのスゥエーターに首を通した。空は鈍色に厚く垂れこめた雲が支配し、オランダ特有の糠のような雨が今にも降り出しそうな気配だ。>私が初めてアムステルダム国立美術館を訪ねたのは、学生時代。レンブラントの大きな「夜警」の絵の前に立って感激していました。2度目にフェルメールを見に訪ねたのは、2002年のこと、その時ミュージアムショップで購入した日本語版所蔵品カタログが手元にありました。
<自然、足早になった嶋田は国立美術館の前庭の几帳面に刈り込まれた生垣の間を抜け、通りに出たところで、今見てきたばかりのフェルメールの『牛乳を注ぐ女』の残像を脳の襞に焼き付ける想いで歩を止め、ゆっくり振り返った。それが、ここを訪れた時の嶋田のいつもの習慣だった。 かつてのオランダの栄光を体現した華麗な建造物が嶋田の眼を奪う。ファサードと呼ばれる装飾を施した切妻の左右にネオ・ゴシック様式の優雅な鐘楼を配したオランダ国立美術館が灰色の空をバックに静かな威厳を保って佇んでいた。>
さすがオランダの栄華を象徴する建物です。開館は1885年、アムステルダム中央駅も手がけた建築家カイペルスの傑作とのこと。
<見慣れた景色であり、何度も凝視し続けたはずのフェルメールの四点の作品 -『牛乳を注ぐ女』『小路』『青衣の女』『恋文』― だったが、フェルメールを見た後、ここに立ち止まり、美術館の建物を見上げる度に軽い眩暈にも似た奇妙な感覚に襲われるのは何故なんだろう。>
「小路」はデルフトの町の風景に違いないのですが、何処を描いたのか諸説あるようです。美術館カタログには
<この家並みは、まるでフェルメールが自宅の窓から見えるままに描いたかのように見える。だが決してそうではなく、おそらく空想上の産物と思われるが、確かに現実に根ざした想像なのである。>と説明されていました。
アムステルダム国立美術館は上の四作品を所蔵しています。この後、物語はスリリングな展開となります。
↧