私にとっての甲東園の謎が解けた
「甲東園」は、マンション広告でしばしば使われている高級住宅地・西宮七園の一つですが、高級住宅地というと、どうしても阪急甲東園駅から西側の関西学院に上って行く上甲東園地区を想像してしまいます。 先日「昭和前期日本商工地図集成」の甲東村の地図を見ていると、現在の甲東園一丁目から二丁目にかけての部分に住宅開発されたらしい「甲東園」という一角がありました。地図は左側が北です。ご注意ください。...
View Article『華麗なる一族』万俵鉄平のもう一人のモデルは西山弥太郎
山崎豊子は『華麗なる一族』の副主人公万俵鉄平のモデルは、高炉建設に情熱を傾けた元住友金属社長日向方斎氏であったことを、『大阪づくし私の産声山崎豊子自作を語る2 (山崎豊子自作を語る...
View Article谷崎潤一郎と根津家の付き合いが始まった夙川の根津家本宅
昭和四年から五年まで住み込みで谷崎潤一郎の助手を務めた高木治江は『谷崎潤一郎の思い出』で当時の数々のエピソードを素直な目で著わしています。...
View Article台風一過、夙川公園へ、昨年の台風21号は『平成細雪』に登場
神戸を直撃した台風21号がようやく過ぎ去りました。TVニュースで見ていると、やはり近畿圏には甚大な被害をもたらしたようです。台風が過ぎ去った夕刻、散歩に出ました。いつものニテコ池。 昨年10月の台風21号では、夙川公園の松が何本も折れていましたので、心配しながら夙川公園へ。今回松が折れているのを見つけたのはこの一本だけ。折れた木はブランコに覆いかぶさっていました。...
View Article戦時中神戸に住んでいた外国人の記録『ある愛の旅路』
神戸の外国人倶楽部の歴史などを調べるうちに、戦時中の外国人の暮らしはどんなだったろうと興味を持ち始めました。「これは、神戸に住む異邦人のわたしが歩んだ人生の偽りない記録である。第二次大戦中の神戸で、わが家を襲った悪夢のようなできごとをはさみ、わたしはここにしるしたままの日々を送ってきた」と述べられている、ポーラ・ネニスキス著『ある愛の旅路』はロシア人女性の数奇な運命の記録でした。...
View Article戦前、戦中のユダヤ人協会の様子(『ある愛の旅路』)
白系ロシア人のポーラ・ネニキスは昭和15年、新婚旅行と母の療養を兼ね、神戸・山本通りの借家に長期滞在します。 昭和15年といえば、既に国際連盟を脱退し日中戦争が始まっていましたが、太平洋戦争突入前の年です。神戸では米やパンが配給制になっていたそうで、町には神戸に住んでいる外国人のための配給センターがあり、野菜やくだものはここで入手し、パンは外国人用のクーポンを発行してもらい、町で買ったそうです。...
View Article戦時中の神戸の外国人たち(『ある愛の旅路』)
ポーラ・ネニスキス『ある愛の旅路』に神戸に住む外国人たちの戦時中の生活が述べられています。<開戦と同時に、神戸在住のアメリカ人やイギリス人、オーストラリア人など、日本と敵国の国籍を持つ外国人は、いっせいに、神戸のあちらこちらに設けられたキャンプに強制収容された。もちろん、わたしたちには、そのキャンプがどこにあるのか知らされていなかったけれど、六甲の山の中だとか、神戸市内のビルだとか、そんな噂が社交ク...
View Articleポーラの夫は終戦までメルシェ神父と同じ尼崎の憲兵隊支所に拘留
『ある愛の旅路』から続けます。白系ロシア人のポーラ・ネニスキスはリトアニア人のジョーと結婚し、ポーラの母と共に神戸の山本通りに戦時中も暮らしていました。 夫のジョーはユダヤ人ではありませんでしたが、ゲシュタポと噂されているドイツ人ミスター・Kが頻繁に家を訪れるようになります。...
View Article須賀敦子さんが子供の頃見た神戸の坂道の風景を探して
須賀敦子『トリエステの坂道』はイタリアの詩人ウンベルト・サバが生まれ育った辺境の町トリエステを訪ねる紀行文ですが、印象に残るこんな名文を書かれています。<丘から眺めた屋根の連なりにはまるで童話の世界のような美しさがあったが、坂を降りながら近くで見る家々は予想外に貧しげで古びていていた。裏通りをえらんで歩いていたせいもあっただろう。…………軽く目を閉じさえすれば、それはそのまま、むかし母の袖につかまっ...
View Article山崎豊子の驚くべき取材力・理解力(『華麗なる一族』)
山崎豊子さんは「私の作品は、取材が命」と語るほどしっかりした取材をされています。銀行の合併をテーマにした『華麗なる一族』の取材ノートでは、銀行や大蔵省の取材の難かしさを述べられていますが、作品を読むと鉄鋼業界の取材にも熱心だったことがよくわかります。 例えば阪神特殊鋼の工場や操業の描写、様々なエピソードは、鉄鋼業に携わった者が読んでも、現実味があり、取材の細やかさに驚かされます。...
View Article山崎豊子の驚くべき取材力(『華麗なる一族』熱風炉爆発)
山崎豊子さんの取材力には驚きますが、『華麗なる一族』の阪神特殊鋼の高炉建設完成まぎわでの熱風炉爆発事故の場面も迫真の描写です。...
View Article伝統ある神戸レガッタ・アンド・アスレチッククラブへ
神戸レガッタ・アンド・アスレチッククラブ(Kobe Regatta & Athletic Club, KR & AC)は明治3年、ラムネ飲料で有名なA・C・シムの提唱により、 居留地に住む外国人にリクエーション、スポーツを提供するために設立され、グランドの設置やその当時まだ日本には...
View Article阪神大水害の時、神戸のドイツ人学校は何処にあったか?
谷崎潤一郎『細雪』で、昭和13年7月5日の阪神大水害の日に、お隣に住むドイツ人一家の子供たちもドイツ人学校へ行っていて心配する場面があります。<「わたしの旦那さん、ペータァとルミーを迎えに神戸へ行きました。大変心配です」シュトルツ氏の三人の子供たちのうち、フリッツはまだ幼いので学校へ行っていなかったが、ペータァとローゼマリーは神戸の山手にある独逸人倶楽部付属の独逸小学校へ通っていた。>...
View Article三宮神社の境内は歓楽街だった
神戸大丸の向かいにある少し小さな三宮神社、開港直後に神社の前を通る西国街道で国際紛争に発展した神戸事件が発生し、鳥居の横には「史蹟神戸事件発生地」という立派な石碑が立っており、三宮の地名の由来ともなっている由緒ある神社です。...
View Article東京出身の作家吉田篤弘の『神様のいる街』は神戸賛歌
『神様のいる街』は東京出身の作家吉田篤弘(1962年生まれ)の青春時代を描いた自伝的小説。久しぶりに青春時代の心を思い起こさせてくれる小説に出会いました。...
View Articleポートライナーは横にまわる観覧車(吉田篤弘『神様のいる街』)
吉田篤弘『神様のいる街』は、高校生の終わりごろから結婚するまでのあいだに起きたことを、神戸と神保町というふたつの街を中心に据えて綴った自伝的エッセイ。<どうしても神戸に行きたかった。行かなくてはならない。(いま行かなくては駄目だ)と、どこからか声が聞こえてきた。>と、筆者の宝物のひとつと云っていいビートルズのレコードを売ってまで、東京から新幹線に乗って神戸を訪れたのは、創作意欲を掻き立てる街だったか...
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