山崎豊子は『華麗なる一族』の副主人公万俵鉄平のモデルは、高炉建設に情熱を傾けた元住友金属社長日向方斎氏であったことを、『大阪づくし私の産声山崎豊子自作を語る2 (山崎豊子自作を語る 2)』で明かしています。<小説の副主人公である万俵鉄平の人間づくりのために、鉄鋼会社の経営者の中で、“鉄鋼マン”以外のものでもないない人物像をと、二、三人の経済記者の方に推挙していただくと、異口同音、住友金属社長、日向方斎という名前が撥ねかえって来た。>日向氏も鹿島製鉄所の高炉建設に邁進した人でした。<この日向氏の齢を若くし、体躯を大きくし、精悍な顔つきにすると、小説のなかの万俵鉄平という鉄に生き、鉄に死んで行った一人の鉄鋼マンの人間像が出来上がる。人間を書くこと、人間臭さが大好きな私は、こうして絶えず、強烈な個性を持った人に接し、そこから小説の人物を創り出すのである。>しかし、日向方斎氏よりもっとピッタリのモデルがいます。『華麗なる一族』が執筆された1970年には既に亡くなられていましたが、川崎製鉄の創業者で、高炉建設に情熱を燃やした西山弥太郎、東京帝国大学工学部冶金学科卒の技術屋鉄鋼マンという経歴は鉄平と同じなのです。 黒木亮『鉄のあけぼの』に高炉建設のエピソードが描かれています。 昭和22年ごろまだ川崎重工業であった時代の、平炉の葺合工場での出来事です。<「日鉄が銑鉄をくれんからなあ」平炉の中にスクラップと一緒に入れる銑鉄は高炉を持つ日本製鉄に供給を仰いでいる。しかし量が不十分なので、先日、インド製の銑鉄を独自に入手して使ったところ、それを知った日本製鉄が「勝手なことをするなら銑鉄はやらん」と、供給を一時停止してきた。「やっぱり平炉メーカーでは駄目なんや。自分のところで銑鉄をつくらんことには、安くていい鋼はできん」>この頃から、高炉を持つ銑鋼一貫メーカーにならなければ会社の将来はないというのが西山の考えで、どうしても鉄平とイメージが重なるのです。 昭和25年川崎重工の株主総会が開かれ、製鋼部門の分離独立が決議されます。その総会が開かれた場所は海岸通にある海岸ビルでした。<神戸のメリケン波止場に近い生田区(現中央区)海岸通り三番地にある海岸ビルに人々が集まっていた。旧三井物産神戸支店として大正七年の建てられた四階建ての洋風建築は、和風の破風を持ち、外壁には幾何学模様が施されている。午後一時、三階にある神戸船舶倶楽部の一室で、川崎重工の四年ぶりの株主総会が開かれた。>写真手前のビルが海岸ビル。 西山は千葉に一貫製鉄所の建設を計画しますが、高炉メーカー三社(八幡・富士・日本鋼管)と通産官僚の激しい批判にさらされます。当時、「法王」と呼ばれるほど権勢をふるっていた日銀総裁一万田尚登からは「建設を強行するなら製鉄所の敷地にぺんぺん草が生えることになる」と毒づかれた逸話は後々まで語り継がれました。 しかし西山は「だれが反対しようと、やると決めたらやるんだ。わたしに金を貸さん人がいても、協力せん人がおっても、日本一立派な従業員を持っているのだから、絶対にやれるよ」と千葉製鉄所建設を成し遂げたのです。どう考えても『華麗なる一族』万俵鉄平のモデルです。
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