須賀敦子『トリエステの坂道』はイタリアの詩人ウンベルト・サバが生まれ育った辺境の町トリエステを訪ねる紀行文ですが、印象に残るこんな名文を書かれています。<丘から眺めた屋根の連なりにはまるで童話の世界のような美しさがあったが、坂を降りながら近くで見る家々は予想外に貧しげで古びていていた。裏通りをえらんで歩いていたせいもあっただろう。…………軽く目を閉じさえすれば、それはそのまま、むかし母の袖につかまって降りた神戸の坂道だった。母の下駄の音と、爪先に力を入れて歩いていた靴の感触。西洋館のかげから、はずむように視界にとびこんできた青い海の切れはし。> トリエステの坂道の風景、須賀さんが思い出したのは子どもの頃、母親と歩いた神戸の坂道でした。 実は須賀さんの大叔父にあたる方が、当時神戸北野町の風見鶏の館の西隣の大きなお屋敷に住まれていたので、そこからの帰り道のことを思い出されたのでしょう。 しかし現在は神戸には高層ビルが立ち並び、北野町の坂道からは、なかなか「青い海の切れはし」を見ることができません。不動坂からの景色です。北野天満神社にまで登ると、見晴らしはいいのですが、海までは。「うろこの館」の更に上にある港みはらし台まで登ると、ようやく海まではっきり見渡すことができました。 須賀さんの記憶にあった北野町の坂道の景色は、夙川に住まれていた昭和10年ごろのお話です。先日、川西英さんの『神戸百景』を見ていると、戦後(1952~1961年)描かれた神戸風景の中に、海が見える北野町の坂道がありました。須賀さんはこんな坂道をお母様に手を引かれて、つま先に力を入れて下って行かれたのでしょう。
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