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Channel: 阪急沿線文学散歩
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夙川から赤い屋根の小径を歩く②(ヴォーリズ建築の跡地を訪ねて)

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 さて雲井児童遊園から雲井通りを先に進んでみます。  この近くに今回の散策のきっかけとなったヴォーリズ設計のK.H邸がありましたが、当時の建物は無くなっているようです。一つ目の角を右に曲がった所に、2年前にはヴォーリズ建築のヨスト邸が残っていましたが、今日行って見ると既に撤去され新しい建物の建築中でした。  ヨスト邸は、『近代建築ガイドブック関西編』の山形政昭教授の地図を見ると水色の四角で示した所にあり、昭和4年に竣工したニューヨークナショナルシティ銀行の一つであったことがわかりました。  竣工当時この邸は大阪支店単身者住宅として使用されていたことが淡交社『阪神間モダニズム』に写真とともに説明されています。   2年前に撮影したヨスト邸と一致しました。    残りの3邸があった所は現在は駐車場となっていました。    駐車場に入ると石燈籠が残っており、ヴォーリズ建築とは別のお屋敷があったのでしょうか。     石垣の下段の部分は昔のナショナル銀行社宅の名残のようです。  山形教授の地図で旧梅花女学院教員住宅と示されている建物について、淡交社『阪神間モダニズム』で、同じく山形教授は次のように解説されていました。<その早い建築例が大正11年に設けられたアメリカン・ボード・ミッションの住宅で、雲井町八の高台に三棟の宣教師館が建った。> 現在はそのような建物は残っていませんが、写真の右側の石垣の上の高台です。  ここに居住したのがH.W.ハケットで、この住宅郡がアメリカン・ボード・ミッションの阪神間におけるステーションであったと説明されています。  H.W.ハケットについては『神戸女学院岡田山キャンパス -ヴォーリズ建築の魅力とメッセージ』に井出敦子氏が「図書館本館の螺旋階段とハケット氏」と題したコラムで紹介されていました。<神戸女学院岡田山キャンパスは、当時の第5代院長デフォレストの高邁なる理想と、それを形にしたヴォーリズ、二人の魂が響きあって実現した。そして建築委員長としてこの大事業を実務的に支えたのが、学院の財務主管をしていたハロルド・ウォレス・ハケットである。彼はアメリカン・ボード・ミッションの財務責任者も兼ねていた。> リンカーンの言葉を真理探究に置き換え、「真理への道は螺旋階段を上がるが如し」という精神を象徴するものとして、神戸女学院図書館本館に螺旋階段を設けるよう指示したのがハケット氏であると伝えられているそうです。  ハケット氏の肖像画が、図書館2階の螺旋階段の横に掲げられていました。    さらに殿山町のパインクレスト跡地のあたり、旧日本ジェネラルモーターズ社宅跡まで歩くと、当時の赤い煉瓦塀の洋館が残っていました。 この洋館はヴォーリズのスパニッシュスタイルの住宅とは少しデザインが異なります。『近代建築ガイドブック』では次のように解説されていました。<殿山町内にレンガ壁で囲まれて10棟の住宅(2棟は新しい)が軒を並べている。昭和初期に日本ジェネラルモーターズ社の社宅として作られたという。それがそれぞれにアメリカンスタイルを凝らしているのである。建築は岡本工務店の仕事といわれているが資料はない。岡本工務店は大正10年の大阪教会以来ヴォーリズの建築を数多く請負っているが、この殿山町の住宅についてはヴォーリズの関与を想像するよりも、ヴォーリズの住宅がモデルとされた例と考えたい。>  雲井町、殿山町は戦前から「外人村」と呼ばれ洋館群があったそうですが、終戦後ほとんどの洋館が進駐軍に接収されたそうです。 (夙川地区100年のあゆみ)  現在はそれらの洋館はほとんど残っておらず、ヴォーリズの設計した住宅もヨスト邸を最後として無くなってしまったようです。  現在も殿山町にあるスパニッシュスタイルの洋館といえば一粒社ヴォーリズ建築事務所設計の上田安子記念館くらいでしょうか。  

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