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Channel: 阪急沿線文学散歩
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デルフトの眺望(田中純『フェルメールの闇』より)

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 田中純著『フェルメールの闇』に登場する美奈子の兄一郎は古典画法をマスターし、徹底的に模写することを歓びとしています。<僕が崇拝して止まない巨匠たちの技術を探り。内面に潜り込み、巨匠たちになりきって、表現や技術のちょっとした秘密を探り当て、それを寸分違わず再現できた時の歓びは何物にも変えがたい。>一郎はオールド・マスターズの模写をやるため、自然の中で息づき自然の中で発色してきた顔料にこだわります。 (写真は光の王国展に展示されていたラビラズリ)  更に『デルフトの眺望』を模写している時、建物の壁のマチエールがどうしても描けなく、「デルフトの砂がなければ駄目だ」とオランダから砂を取り寄せるほどです。<僕は『デルフトの眺望』の最後の仕上げにかかっている。画面右端に浮かぶ船に取りついた光の粒を絵筆の先で一点づつ置いていく。『デルフトの眺望』。余りにも有名な風景画。>  フェルメールは光を受けた絵の中の壁や屋根が実際に発光するように砂を混ぜたと田中純氏は述べています。この壁のマチエールは世界的な文学作品でもとりあげられています。  その文学作品とは、プルーストが半生をかけて執筆した長編大作『失われた時を求めて』の第五篇「囚われの女」。 その中で絶賛されているのです。<プルーストの『失われた時を求めて』でプルーストの分身と思しき登場人物、作家のベルゴットは重病をおして展覧会の会場に行き、画面右端に描かれた朝日に輝く小さな黄色の壁の美しさに感動のあまり、発作を起こし恍惚のうちに死んでいくという。> 黄色の小さな壁面とは一体どこなのか?絵の右端に見える小さな屋根あるいは、少し見える壁と言われています。   『フェルメールの闇』ではカメラオブスキュラについても触れています。<同時に、この絵が話題になる時、必ず言われるのが、カメラオブスキュラという原始的なカメラを使用したのではないかということがある。レンズの力を借りなければ、あのような光の表現は出来なかったに違いないという意味だ。それほど、光の表現は精妙で、ポワンティエと呼ばれる点描の手法で描かれた光の粒は離れた所から見ると実際に光を発しているように見える。 フェルメールがカメラオブスキュラを利用したかどうか、どちらでも構わないけれども、僕はフェルメールはレンズの力に頼ったとは思っていない。>  カメラオブスクラの話は同じく映画『真珠の耳飾りの少女』、トレイシー・シュバリエの原作にもでてきます。 <それは何でございますか?」「カメラ・オブスクラというものだ」その名前を聞いても、わたしにはちんぷんかんぷんだった。脇に立って、旦那様が留金を外し、箱の蓋の一部を持ち上げるのを見ていた。> <「これを見てご覧」小さめの箱の端に付いた丸いものを指差す。「これはレンズというものでね。ガラスの塊を磨いて作ってある。あちらの光景(旦那様は件の一角を指差した)から出た光がここを通って箱に入ると、映像がここに投影されて、目に見えるのだよ」曇りガラスをトントン叩く。> <「でも…旦那様は御自分の目で何でもご覧になれるのではありませんか」「それはそうだ。ただ私の目が常にすべてを見るとは限らない」> 現在のデルフトの街の写真です。   <「カメラ・オブスクラを使うと、別の見方ができる」旦那様が説明なさる。「そこにあるものの、より多くをみることができる」>カメラ・オブスクラ、フェルメールはどんな使い方をしたのでしょう。

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