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Channel: 阪急沿線文学散歩
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ヴォーリズ設計の広岡恵三邸(森の家)の地図がありました

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NHKの朝ドラ『あさが来た』で有名になった広岡浅子ですが、晩年に娘婿の広岡恵三・亀子夫妻にヴォーリズに設計を依頼して芦屋あたりに私邸を建てることにします。(広岡恵三はヴォーリズの妻満喜子の実兄)古川智映子の小説『土佐堀川』では次のように経緯が説明されています。<「ごみごみした人の多いところは嫌いや。緑の森にでも囲まれて生活したら、どないにええやろか」亀子は夢のような話をする。「芦屋あたりはどうやろか。山か森をそのまま買うて、恵三はんと亀子の家を建てよう」亀子のそうした希望も、いまの加島屋の財力をもってすれば、実現可能になってしまう。実行の早い浅子は、早速、六甲の麓の丘陵三つ、約四万坪を購入した。「家を建てる場所と庭造る分だけ木伐って、あとは自然の森のままにしておこう」浅子はそう提案し、設計を恵三の妹一柳満喜子の婚約者、設計家のヴォーリズに依頼することにした。>その豪邸が完成したときの会話です。<「ほんまにええ環境に家建ててもろて、ありがたい思うてまっせ。おばあちゃんのおかげやわ。子供たちもここへ来てから元気になったわ」「初めは家が広すぎる思うたけど、恵三はんが商いのお客はんを次々に連れて来るよってに、二、三百人の招待なら家ででける。 広うしておいてよかったわ」森の家の一階は、玄関、ホール、応接間、会議室、大ホールなど、ほとんどが来客のためのスペースで占められている。二階が恵三夫妻、三階が子供たちの部屋、使用人の部屋は受け持ちの各階に分散されている。「一つ不便なのはな、廊下が長うて歩くのにしんどいのと、迷うてしもたらなかなかもとのとこに戻れんことやわ」「そないなこと、贅沢な悩みでっせ」亀子が睨む真似をした。>  この森の家は現在の甲南女子大のところにあったことを知り、以前ブログに書かせていただいたとき、小林さんという方から次のコメントをいただきました。<昭和41年、6歳の時に神戸市に越して来ました。東灘区の森稲荷の山側、吉甲園という名称で分譲されていた一区画です。働き盛りで思い入れを持ってこの地を買った父から、ここは昔は広岡さんという人のお屋敷があった所だ。戦後お屋敷は米軍に接収されていたそうだと聞かされたのを覚えております。私達が住みだした頃は、まだ空き地が多く、そこら中に赤レンガが残っていました。赤レンガは当時甲南女子大学の入口にも残っていました。当時の住居表示は森字坂下町、現在は森北町6丁目です。広岡浅子さんのお嬢さんのお屋敷が芦屋か神戸にあったと朝ドラの絡みで知り、広岡さんてひょっとして?と母と話しております。今は、その地を引き払い、芦屋に越してきております。分譲地も世代交代し、小分けされ昔の吉甲園の雰囲気はなく、赤レンガも見かけることができませんが、何かのご参考になれば幸いです。> 広岡家でこの家を「森の家」と呼んでいたのは、森の中にあったのは事実でしょうが、住所の森字坂下町からきたように思われます。さて昭和7年の国土地理院の地図を見ていると、広岡邸がありました。阪急と国鉄の線路が走っていますが、阪急線の屈曲部分のすぐ上に、森稲荷神社があり、その上が広岡邸です。山も含めて敷地は約4万坪。現在の地図と比較すると、甲南女子大のあたり一帯の山が広岡邸の敷地だったことがわかります。航空写真です。戦後も残っていたヴォーリズ設計のお城のような家が無くなってしまったのは、本当に残念です。

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