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Channel: 阪急沿線文学散歩
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神戸大丸前の三宮神社の大砲

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神戸大丸の斜め向かいに三宮神社があります。 ここに「史蹟神戸事件発祥の地」と刻まれた石碑が立っています。 これは神社の前の西国街道で、西宮の警備を命じられた備前藩の大砲隊と士隊の隊列を横切ろうとした外国人に切りつけ、騒乱に発展した事件です。 神社に入ってみると、黒い大砲がありました。神戸事件で使われた大砲ではないようですが、同じ年代に製造されたものだという説明書きがありました。 神戸事件では、結局砲術隊長であった瀧善三郎が責任者として永福寺で切腹しますが、その経緯と切腹の様子が、英字新聞ジャパン・クロニクル紙が編集・発行した”Jubilee Number 1868-1918”や、アーネスト・サトウ日記に詳しく書かれています。 切腹とその後の介錯の模様はあまりにも生々しく、ここでは引用しませんが、イギリス公使館からサトウとともに派遣され、処刑の場所に臨席したミッドフォードは、「寺院という場所と夜おそい時刻とによって、厳粛な雰囲気をいやが上にも高めたこの切腹の儀式は、日本の身分ある紳士の顕著な特徴である威厳と礼節に満ちていた」と報告し、サトウは<感動はイギリス公使パークスにも伝わったようである。>と述べています。この犠牲がなければ、日本は植民地と化していたという説もあるそうです。 三宮神社に話を戻すと、小さな神社に見えますが、戦前は今と比べ物にならないくらいの広さを誇っていたそうです。戦前の三宮神社の写真がありました。境内には映画館や飲食店があり、一大歓楽地となっていたそうです。昭和初期の地図を見ると、黄線で囲ったところが三宮神社の境内だったようです。そしてここから山側に上る道トアロードは、大正時代はまだ三ノ宮道路と呼ばれていました。現在の三宮駅からは少し離れていますが、三宮の歴史が詰まった三宮神社でした。

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