先だって、東京にお住まいの方から神戸では今でも「海側、山側」と言うのですかと尋ねられました。現在でも変わりませんとお答えしましたが、自分自身普通に使っていました。 いくつかの小説にもその表現は登場します。原田マハさんの関西学院大学在学時代の経験をもとにした『おいしい水』では、阪急電車から眺める風景を次のように表現しています。<あずき色の電車は、大阪・梅田から、私の住む西宮北口という駅を通って、神戸・三宮、新開地まで走っていた。特急ならば、西宮北口から三宮まで十分ちょっと。物足りなくて、私はしばしば普通電車に乗った。車窓から眺める風景が、何より好きだったのだ。山側は北。海側は南。方向音痴の私でも、神戸では方角を間違えようがない。そんな大らかな地図のような街が、大好きだった。>上の図をご覧になると、海と山に挟まれた西宮北口以西では、南北より、海側山側の表現が判りやすいことが理解できると思います。 昨年発刊された石田香織『きょうの日はさようなら』は作者自身が体験した阪神大震災から5年後の神戸を主な舞台に、社会の片隅で不器用に支え合って生きる人々を描いた作品。主人公は神戸で暮らす事務員です。<私は海と山に囲まれた街で事務員として働いていた。昔は外国人の居留地だったその街は洋風石造りの建物が多く、異国情緒があった。大きな震災から五年経って、街は何事もなかったように活気が戻っていたが、ビルとビルの間にぽっかりと出来た空き地や、改修の目処が立たず閉鎖され錆びれたホテルがまだ残っている。>写真は旧居留地明石町筋。前方が海側(南側)。そして、次のように海側山側の表現が出てきます。<この街の人達は「南北」を「海側か山側か」で表現する。港へ続く平坦な道の「海側」と山に向かうなだらかな道が続く「山側」。楽ちん湯は山側にあり、遠くに山の緑を眺めながら自転車を立ち漕ぎして坂を上って行かなければならない。>海岸通りの写真。左手が山側。右手が海側。トアロードで、山側を見る。 普段はまったく気にしていなかったのですが、神戸大丸の各階のエスカレーター入口には海側・山側の表示があります。エスカレータの上に方角の表示が必要かとも思いますが、このような表記は神戸以外では見られないでしょう。尋ねられるまでは、関西育ちの私はまったく気にしていませんでした。
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