椹野道流『最後の晩ごはん』は芦屋警察署と税務署の間にある「ばんめし屋」から話が始まります。そして舞台はほとんどが芦屋市内。シリーズ第1弾から第8弾までに登場した芦屋市内の舞台をまとめてみました。それぞれの舞台の写真と小説の引用文につけた番号は、芦屋市街地図に示した番号と一致しています。椹野道流さんは私にとって謎の作家でしたが、芦屋市在住の麗しき女性であり、Wikipediaで調べると、「日本の法医学者・小説家。兵庫県出身。デビューから数年はとある医科大学の法医学教室に籍を置く、非常勤の監察医だった。現在は専門学校で教壇に立つかたわら、作家活動をしている。特技は一弦琴。中原中也が好きで、ペンネームの「椹野」は椹野川に由来する。」と書かれています。 とある医科大学とは武庫川にある兵庫医科大学のようです。また、椹野さんのTwitterでは、いつもペットの猫、文鳥、イモリを紹介されており、8月18日から芦屋市民センター・公民館展示場ではじまる芦屋のペットの写真展にも、椹野さんのペットの写真を提供いただきました。 写真展初日18日の15時ごろ、椹野道流さんご本人に展示場に来ていただけることになりました。椹野さんのペットの写真のみならず、作品紹介のパネルも展示しています。椹野さんからはどのようなコメントをいただけるのでしょう。
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椹野道流『最後の晩ごはん』に登場する芦屋市内の舞台をまとめました
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小川洋子さんの奥ゆかしさがにじみでたエッセイ「本物のご褒美」
一度だけですが、『ミーナの行進』の成人したミーナのモデルにもなった栗田明子さんのご計らいで、小川洋子さんと親しくお話しできる機会を得ました。 その時受けた強い印象は、TVのインタビューなどでお見かけしたそのまま、大作家にもかかわらず決して驕ることのない、洗練された思慮深さでした。 たとえば、『カラーひよことコーヒー豆』に収められたエッセイ「本物のご褒美」は小川洋子さんの奥ゆかしさがにじみ出たエッセイです。<私も小説を発表するようになって二十年近くになるが、手こずった長編がどうにか本の形になった折りなど、大好きなアンティークの品を一つ、こっそり買ったりする。こっそり、という点が重要で、自慢げに振る舞ったりしては、自分だけの頑張りに余計な手垢がついてしまうような気がする。>これがプロとしての正しいあり方だと述べられています。更に、<しかし本物のご褒美は、自分でお金など払わなくても、思いもかけない場面でもたらされるということを、一生懸命働く人々なら誰でも知っている。それは形を持たず、手触りもなく、あっという間に通り過ぎてゆくにもかかわらず、記憶に深く刻まれるご褒美である。>そうですね。会社生活でも記憶に深く刻まれるご褒美がありました。<2006年、拙著『博士の愛した数式』が映画になった時、こういう機会は滅多にないだろうからと、三宮の映画館まで行き、ちゃんと料金を払って一観客として映画を観ることにした。>2006年は小川洋子さんは芦屋市に住まれていたので、芦屋駅から阪神電車に乗られたのでしょう。<阪神電車に乗ってふと顔を上げると、前の席に座った女性が文庫本を読んでいる。それが『博士の愛した数式』だった。私は急に胸がどきどきして、どうしていいか分からなくなった。>何と奥ゆかしい小川さんでしょう。<その本を書いたのは、私なんです。しかもその映画を観に行く途中なんです。と、声に出したい気持ちになった。>その女性は御影駅で降りていきます。<やがて特急電車は三宮の手前、御影の駅に到着した。その人ははっとして現実に舞い戻り、文庫本を閉じ、急ぎ足で電車を降りていった。その後ろ姿を私はいつまでも見送っていた。> この出来事について、小川さんは「小説を書いていて、これほどのご褒美があるだろうか。」と述べられているのです。<私は誰かに感謝の気持ちを捧げなければ、罰が当たると思った。だから、電車で乗り合わせただけの、名前も知らないその彼女の後ろ姿に向かって頭をさげたのだった。宝石や香水は何個でも欲しくなるが、本物のご褒美は生涯にたった一個あれば十分だ。何度繰り返し思い起こしても、そのたび新たな喜びに浸れるのだから。> 読者の後ろ姿に頭を下げるなんて、大作家ができることでしょうか。いいエッセイでした。
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『最後の晩ごはん』の椹野道流さんにお会いできました!
昨日から芦屋市民センター展示場で始まった「芦屋のペット大集合写真展」に、椹野道流さんのコーナーを設け、作品や椹野さんのペットの紹介をしています。 昨日は椹野道流さんとKADOKAWAの編集者の方にお越しいただき、新聞社やケーブルテレビのインタビューを受けていただきました。 椹野道流さんは、私にとって最初は男性か女性かもわからない謎の作家でありましたが、「ダ・ヴィンチ」の記事等で女性作家であると知り、少しずつヴェールがはがされてきました。気難しい作家ではないかと心配していたのですが、記者の質問にも大変フランクにお話いただき、安心いたしました。会場には椹野さんの到着前から多くのファンの方が集まっており、親しくお話され、ファンの方がそれぞれ持参した著書にも快くサインされ、皆様喜んでおられました。当日の様子が本日の神戸新聞に掲載され、インターネットでも読むことができます。https://www.kobe-np.co.jp/news/hanshin/201708/0010477310.shtml
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涼宮ハルヒの憂鬱第20話「涼宮ハルヒの溜息Ⅰ」祝川商店街?
BSプレミアムで『涼宮ハルヒの憂鬱』が再放送されています。ようやく「エンドレスエイト」の繰り返しが終わり、「涼宮ハルヒの溜息Ⅰ」が先日放映されました。 今回は北校の文化祭にSOS団で映画を製作しようとハルヒが言い出します。下校風景に阪急甲陽線が登場します。ハルヒたちが乗った甲陽線の車内の風景。いよいよ夙川駅に到着です。良く見慣れた風景。甲陽線夙川駅プラットホームです。このプラットホームに降り立つハルヒたち。違和感があるのは、やはりウルトラミニのスカート丈。平中悠一原作・白羽弥仁監督の映画『シーズ・レイン』にも甲陽線を使って女子高に通う風景が登場します。上の写真は甲陽園駅前。甲陽線、神戸線の女子高生たちのスカート丈はいつの時代もこんなものでした。さて駅を降りて、撮影用機材を求めて向かったのが祝川商店街でした。このモデルはなんとモンセ分店薬局さんのある尼崎中央商店街でした。商店街風景は次回に期待です。
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読売新聞日曜版『名言巡礼』に須賀敦子『ユルスナールの靴』が登場
8月20日(日)読売新聞日曜版の『名言巡礼』で須賀敦子さんの言葉が取り上げられ、カトリック夙川教会や小林聖心女子学院、西宮が紹介されました。読売新聞のウェブサイトYOMIURI ONLINEで、その動画を見ることができます。http://www.yomiuri.co.jp/stream/?id=06968名言巡礼 須賀敦子「ユルスナールの靴」から 西宮・宝塚最初はカトリック夙川教会から始まります。聖堂のステンドグラス。美しいカリヨンの音も聴くことができます。続いて夙川の映像。夙川河口、御前浜の映像です。西宮ヨットハーバーも。最後はアントニン。レイモンド設計の小林聖心女子学院の校舎。普段はなかなか見ることのできない内部の映像です。須賀敦子さんが月曜日に上履きを忘れて赤い鼻緒の大きなゾウリをはかされて、ペタペタと音をたてて歩いた廊下。教室の扉は昔のままです。須賀さんが通われていたころ、遠藤周作の母、郁さんが音楽を教えておられた頃の聖堂は現在は講堂として使われています。最後のシーンはみこころ坂を小林聖心女子学院の生徒が歩いて帰っていく姿にかぶせられた名言、「きっちり足に合った靴さえあれば、じぶんはどこまでも歩いていけるはずだ」胸にじんときました。うまく纏められた3分22秒の映像、是非ご覧ください。
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関西圏では読めなかった『名言巡礼』須賀敦子さんと西宮案内
8月20日の読売新聞日曜版『名言巡礼』、1面には大きくカトリック夙川教会の写真が掲載されましたが、1面の最後は、<※購読者向け有料サイト「読売プレミアム」でさらに詳しい記事を紹介しています。>で終わってしまい、肝心の西宮市民として最も関心ある記事が読めませんでした。「小説や映画、詩や歌に残された作家たちの名言。その舞台となった土地をたずね、言葉が生まれた物語や背景、今を生きる人々の記憶を紹介します」とした『名言巡礼』は、東京では2面仕立ての記事になっており、関東に住む人にとっての西宮観光案内となっているのです。2面には、まず小林聖心女子学院のみこころ坂の写真とともに須賀敦子さんが通った小林聖心女子学院が紹介されています。そして、イラスト地図が掲載され、西宮では須賀さんが眠る甲山墓園の近くにある甲山森林公園、夙川公園、夙川カトリック教会、西宮神社、宮水庭園、須賀さんが泳いだ御前浜公園などが紹介されています。 本文では、「コスモスの海」で紹介されていた神戸北野町の大叔父のお屋敷についても触れられていますが、さすがそこまではイラストに入らなかったようです。最後に「旅のアラカルト」として、東京から西宮へのアクセス、西宮のお土産として、西宮スタイルの岡本さんご推奨のペーパークラフト「西宮風景箱」が紹介されていました。 大変うまく須賀敦子さんと西宮についてまとめられた記事ですが、西宮市民、須賀敦子ファンとしては肝心の2面が関西版にはなかったのが残念です。
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英国の住宅建築・湖水地方石積みの家を訪ねる
建物好きの私にとって、イギリスの旅で見た住宅は周りの風景に溶け込んだ歴史を感じる素晴らしい建物ばかりでした。 日本に戻って、英国住宅建築様式の変遷や建材についてまとめた小尾光一著『英国住宅に魅せられて』という本を参考にしながら、撮った写真の家について調べてみました。まずは湖水地方の石積みの家です。湖水地方の観光の後、一般家庭訪問というプログラムで家の中も案内してもらえる機会を得ました。湖水地方で多く見られる典型的な石積みのお家です。 この地域で採れる石はカンブリアン・ストーンと呼ばれる粘板岩の非常に硬い石。外観は上の写真のようになっていて、セミ・デタッチドハウス (Semi-Detached House)と呼ばれる一棟の建物を中央で区分し、2軒の家が区分している壁を共有するイギリスではよく見られる家の形になっています。 建築様式は年表を見ると、1901年~1918年頃のエドワーディアン・スタイルと思われます。その典型的な外観の特徴は、張り出した三角形の妻壁の下に、1,2階つながった出窓がくっついたデザインです。チムニーポットは現在も本当に役に立っているのか、気になっていましたが、応接間に通して頂くと、暖炉の場所にMorso製の薪ストーブが据えられており、冬は薪をも燃やして暖をとるそうです。天井には石膏製シーリング。 近くのウィンダミア湖が一望できるオレストヘッドという小山に登った時、途中にFirewood logs for saleという看板が目につきました。日本ならストーブは資源や煤煙の問題もあり、すたれましたが、自然と共生できる環境を保つことができるイギリスでは、実際に炎の見える暖炉やストーブは生活に欠かせないようです。湖水地方は石積みの家が多く見られ、チムニーポットも目立っています。向こうに見えるのがウィンダミア湖です。さて、家の中に戻りましょう。明るいキッチン。手作りのケーキまで用意していただきました。ベッドルーム。娘さんはハネムーンに日本を訪問されたそうで、お土産の日本人形が飾られていました。ご趣味のふくろうの置物も沢山。裏庭と呼ぶのでしゅか。一段下のイングリッシュガーデン。ご近所もこのような石積みの家ばかり。セントラルヒーティングも進んで、使われなくなったチムニーポットがこのようにフラワーポットとして使われていました。でもイギリスの住宅の屋根からチムニーポットが消えることはなさそうです。
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『最後の晩ごはん』カトリック芦屋教会の隣に「ばんめし屋」がある理由
椹野道流さんの『最後の晩ごはん』の舞台となった兵庫県芦屋市、夜だけ営業の定食屋「ばんめし屋」はカトリック芦屋教会と芦屋警察署の間にあるという設定です。そこに設定した理由を椹野道流さんからお聴きすることができました。(写真は8月19日の神戸新聞阪神版に掲載されたもの)「ばんめし屋」の所在地は、第三話「お兄さんとホットケーキ」の第一章にわかりやすく書かれています。<兵庫県芦屋市。六甲山と大阪湾に挟まれ、神戸市に隣接するこの小さな街には、東西方向ほぼ並行に、三本の線路が走っている。その中でもいちばん南……いや。ご当地に言えば海手を走る阪神電車芦屋駅からほんの少し北上したところにあるのが、芦屋警察署だ。 愛想の欠片もない鉄筋コンクリートの建物だが、一角だけは、かつての壮麗な庁舎の玄関部が残されているのが、何とももの悲しく、印象的である。>椹野さんが説明している芦屋警察署旧庁舎は阪神芦屋駅の北側に建つロマネスク様式の建物。設計は兵庫県営繕課によるもので、当時置塩章が営繕課長を勤めていました。御影石のアーチ型玄関とミミズクの彫刻。夜行性なので夜警を意味しているそうです。石造りのアーチの奥に正面入口があります。壁面のエメラルドグリーンのタイルも印象的です。新庁舎では玄関を芦屋川に面した西側に移したため、この旧庁舎玄関は現在、使われていません。<一方、警察署から芦屋川沿いに北上、すなわち山に向かって歩いて行けば、緑がかった尖塔の屋根が目印のゴシック風建築、カトリック芦屋教会が見えてくる。>設計は、建築家の長谷部鋭吉氏によるもので、戦後昭和28年に竣工しています。 椹野道流さんはこの二つの建造物が大好きで、毎日この建物を見ながら仕事ができたら、何て素晴らしいことだろうと、その間の空き地に「ばんめし屋」を設定したそうです。<そして、そんな二つの対照的な建物の間にある、典型的な昭和の木造二階建て住宅。それこそが、この物語の舞台である。一見、古い民家とおぼしきその家の玄関には、「ばんめし屋」と書かれた木製のプレートが掲げられている。> 行ってみればわかるのですが、実はこの二つの建物の間には芦屋税務署があるのです。しかし、『最後の晩ごはん』では、あたかも存在しないように書かれています。 その建物には椹野さんにとってあまり良くない印象の出来事があったそうで、存在を消し去ってしまったそうです。 椹野さんがカトリック芦屋教会の建物がお好きな、もう一つ衝撃的な理由がありました。それは、幼いころ見られたウルトラセブンにカトリック芦屋教会が登場し、その印象が強く残っていたからだそうです。それは、ウルトラセブンの【第14話 ウルトラ警備隊西へ】1968年1月7日 放送でした。金髪女性は、ドロシー・アンダーソン(実はペダン星人)。 ストーリーは、地球がペダン星へ観測用ロケットを打ち上げたことにより、侵略されたと思ったペダン星人が報復を企て、地球防衛軍は六甲山にある防衛センターで対策会議を開こうとしますが、会議に向かう科学者たちが次々と殺されてしまいます。 この防衛センター入口の外観に使われたのは芦屋市役所でした。偶然でしょうか、現在芦屋市市制77周年記念事業として「ウルトラセブン芦屋へ」が開催されており、カトリック芦屋教会および芦屋市役所でウルトラセブンミニパネルが展示されています。8月27日(日)には精道小学校で特別上映会が開催されそうです。椹野道流さんも楽しみにされていました。
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エディンバラで見たスコティッシュ・サンドストーンの住宅
スコットランドでは多くの住宅がサンドストーン(砂岩)造りになっていました。。石の色は黄土色のスコティッシュ・バフ・サンドストーンと赤味のあるスコティッシュ・レッド・サンドストーンに二分されるようです。 赤味のある方は、ハイランド、黄土色のものはローランド産のようですが、ローランド地方に属するエディンバラでも、それぞれの建物を見ることができました。バフ・サンドストーンの建物。こちらは同じ地区内のレッド・サンドストーンの建物。いずれもセミ・デタッチド・ハウス(二戸建て一軒家)で、トゥエンティーズ&サーティーズ・スタイルと呼ばれる、1930年代の建築ラッシュ時に建てられた中産階級用の規格型プランではないでしょうか。レストランRamsdens at The Three Bridgesも由緒ある建物のようです。 レッド・サンド・ストーンが使われ1903年にオープンした5つ星のホテルウォルドルフ アストリア エディンバラ ザ カレドニアンはジョージアン・スタイル。The Scotch Whiskey Experience も同じジョージアン・スタイルの建物。 いずれも、ダッチゲーブルと呼ばれる階段状のユニークな妻壁が目立ちます。 エリザベス女王のスコットランドにおける公邸であるホリールード宮殿はシンメトリックなバロック様式です。 どの建物もサンド・ストーン特有の肌合いと柔らかみが魅力的でした。
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椹野道流『最後の晩ごはん』第三話に登場する芦屋の動物病院は?
椹野道流さんの『最後の晩ごはん』第三話「お兄さんとホットケーキ」で、五十嵐海里の兄の一憲の婚約者で獣医の樫木奈津が登場します。<ガラリとやけに軽やかな音を立てて、入り口の引き戸が開いた。酷く苛立っていた海里もギョッとして口を噤み、反射的に立ち上がる。片手でのれんを持ち上げたまま、開けた扉から躊躇いがちに顔を覗かせたのは、三十代くらいの長身の女性だった。>第七話には、緒川千世さんのイラストで、奈津のキャラクターが描かれていました。長めのボブカットとはこのような髪形のことらしいです。 海里は夜半を過ぎた「ばんめし屋」に突然入ってきた客に「夜勤の仕事なんですか?」と問いかけます。<「夜勤は確かにあるんだけど、今日は普通の勤務が長引いただけで……」海里と夏神は、思わす壁の時計を同時に見上げる。「普通の勤務が長引いてって、もうじき午前二時ですよ?そんなに遅くなる仕事っていったい……」女性はどこかはにかんだ笑みを浮かべ、こう言った。「獣医なの」> 手術が長引いて、安定してから夜勤の子に引き継いだという奈津に対し、<「ふわー。マジで大変そう。それって、医院を経営してるってことですか?」「ううん、まだ修業中だから、県立芦屋高校のすぐ近くの動物病院に勤めてるの」それを聞いて、夏神はちょっと驚いたように太い眉を上げた。「県芦の近く言うたら、こっからちょっと距離あるやないですか。わざわざ歩きで?」「いいえ、自転車で、業平町に住んでるから、毎日自転車通勤なんです」> さて県立芦屋高校に近い動物病院ということで、「みや動物病院」と推定していたのですが、椹野道流さんに直接伺うことがで、間違いなかったことが確認できました。 やはり、椹野さんは「みや動物病院」にいつもお世話になっていると話され、宮院長が大変熱心で腕のいい信頼できる獣医であることを話されていました。 一度内蔵破裂して死にそうになっていた野良猫を連れていき、長時間にわたる手術で命を助けてもらったそうですが、あまりにも先生が熱心に救命したため、医療費はすごくかかかってしまい、さすがの椹野さんも目が点になったとか。でもある程度、減額してもらって分割で支払ったそうです。 院長先生も椹野さんも動物愛護には、考えられないほど熱心な方たちです。最後に、芦屋市民センターで開催中の「芦屋のペット大集合写真展」の椹野さんの展示コーナーに飾っている、椹野さんから頂いた直筆のコメントです。
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ストラトフォード・アポン・エイボンはチューダー様式の家が一杯
チューダー朝時代に建築された建物のスタイルは、外壁に梁材をあしらった白黒(または茶)の外観の建物が有名です。例えばシェークスピアの生家。 1594年に建てられた典型的なハーフ・ティンバー(木組み)のストラットフォード・アポン・エイボンの最古のパブThe Garric Inn。梁や筋かいを多く入れることで強度を増し、背の高い建物を実現しています。 その右側の建物はハーバード・ハウス。1596年に、ハーバード大学の母体を創設したジョン・ハーバードの祖父であるトマス・ロジャースが建てたもの。1909年、イングランド人の小説家でストラトフォード・アポン・エイボンに住んでいたマリー・コレリの提案と熱狂的な支援により、この家はシカゴに住むアメリカ人の百万長者であるエドワード・モリスによって購入され、大規模な修復の後、ハーバード大学に寄贈され、ハーバード・ハウスとして知られるようになったそうです。 先の尖ったアーチ型の玄関ドア―もチューダー・アーチと呼ばれる典型的なチューダー様式。 窓は縦長で、細かく仕切られた鉛や鉄の格子に小さなガラス板が一枚一枚はめ込まれています。 また建物の2階以上の部分が1階よりも張り出すのもチューダー様式の特徴。町の中心部に残っているシェークスピアの通ったグラマー・スクールにもその特徴がみられます。張り出した部分はJettyと呼ばれています。シェークスピアの孫娘エリザベスが夫トーマス・ナッシュと一緒に住んだ家です。立派な茅葺き屋根が印象的なシェークスピアの妻アン・ハサウェイが結婚前に家族と住んでいた家もチューダー様式の代表的な家です。かなり大きな農家だったそうで、内部には12部屋あり、今も16世紀のアンティーク家具が置かれています。このようにストラットフォード・アポン・エイボンでは典型的なチューダー様式の住宅があふれていました。こんな貸店舗もありました。いくらで貸してくれるのでしょう。
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満池谷のワイン会で『火垂るの墓』の親戚の叔母さんの写真!
昨年末に満池谷町自治会副会長のTさんが、野坂昭如が神戸大空襲のあと、疎開してきた満池谷町の遠い親戚の家の場所・その家族構成など、つぶさに調べ公開されました。 先日、ソムリエの資格も持たれるT家で「夏に恋するゼクトのつぶやき」と名したワイン会が開催され、参加させていただきました。飲ませていただいたワインは、ドイツゼクト始め、ドイツワインが3種類、フランスワインが4種類、南アフリカのワインが1種類の合計7種類。供されたお料理も11種類という多さで、12時半に始まった会は、18時半ごろまで続きました。 そこでT氏とN先生の活動報告があり、野坂昭如が疎開した遠い親戚の叔母さんの写真や、当時野坂が淡い恋心を抱いていた神戸女学院生の三女京子さんの写真を見せていただきビックリしました。その写真の裏には、それぞれの名前が書かれています。アイさんが親戚の叔母さんの名前です。 T氏とともに調査をしてきたN先生お二人で、先日伊豆に住むI家の長男のご子息の家を訪ね、今や故人となってしまったI家の写真を公開してもいいと許可を得て、貴重な写真をもらってきたそうです。新聞社にも声をかけているそうで、近いうちにどこかの新聞に掲載されるかもしれません。 遠い親戚のI家の叔母さんは『火垂るの墓』では未亡人として満池谷町に住んでいましたが、ご主人は生前三菱商事に勤められており、西宮市平松町に住まれていたそうです。その当時の平松町の借り上げ社宅の写真がありました。 ご主人は昭和16年に死亡し、その後I家は満池谷町に移ったようです。 野坂昭如はI家の三女京子さんが亡くなられた時、家族から連絡を貰い、葬儀に参列したそうで、その時の写真ものこっています。そこで野坂は親族に叔母さんのことを悪く書きすぎてしまったと、親族に謝ったそうです。T氏とN先生の調査には脱帽です。まさかご本人の写真を見ることができるとは思ってもみませんでした。
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コッツウォルズ地方の町を彩るハチミツ色の石の住宅街
コッツウォルズはイングランドでも屈指の美しさを誇るカント リーサイド。その魅力は淡い緑の中に建つ、ハチミツ色のライムストーン(コッツウォルド・ストーン)でできた住宅でしょう。 チッピング・カムデンは中世に毛織物の町として栄えた町。この地方で採れるハチミツ色のコッツウォルド・ストーンでできた家々が続きます。 ボートン・オン・ザ・ウォーターは、ウインドラッシュ川のほとりの小さな町。駐車場の前にもコッツウォルド・ストーンでできた大きな家がありました。風情ある石塀の道を歩くとウィンドラッシュ川に出ます。川と橋とハチミツ色の町並みの美しい風景です。町の中心にあるホテル、ザ・ダイアルハウスは1698年の建物。 次に少し南に下って、ウィリアム・モリスが「イングランドで最も美しい村」と評したハイブリーへ。アーリントン・ロウにあるコテージ群は1380年に修道院の羊毛貯蔵所として建てられたもの。この建物は17世紀に職工のために一連のコテージに改装されたそうです。 ハイブリーには伝統的な家屋が多く並び、落ち着いたコッツウォルズの風景が楽しめました。 これらの住宅の建築様式はどう呼ぶのか調べていましたら、カントリーサイドに良く似合う独自のスタイルとして、単純にコッツウォルズ・スタイルと呼ぶそうです。 この地方でのみ採れるコッツウォルド・ストーン(石灰岩)。北東部ではハチミツ色のこのライムストーンは、中部では黄金色となり、さらに南西に下がるに従って真珠のような柔らかい白色へと変化するそうです。写真でおわかりになったでしょうか。
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小川洋子の作品を映像化するとフランス映画になる(『薬指の標本』)
『薬指の標本』は1994年に刊行された小川洋子さんの初期の代表的な作品といっていいでしょう。「恋愛の痛みと恍惚を透明感漂う文章で描いた珠玉の作品」という解説ですが、正に小川ワールドの真骨頂です。『薬指の標本』は日本著作権輸出センター(JFC)の栗田明子さんの尽力でフランス語出版されました。上の写真はフランス語版『薬指の標本』(L' Annulaireは薬指) そして2005年にはフランスの女性監督ディアーヌ・ベルトランにより映画化されたのです。その映像は小川ワールドを忠実に再現したもので、元は日本を舞台にした小説なのですが、原作を知らない人は、原作の舞台はフランスと思うのではないでしょうか。予告編で小川洋子さんの「私はなぜかたまらなく懐かしい気持ちになった」と次のような感想を述べられています。 小川さんは小説を書く時、「何かをじっと観察して、見ているうちに妄想をふくらませて物語ができる」と述べられていますが、その風景がそのまま忠実に映像になっていたからこそ、そのような感想が生まれたのでしょう。 原作では<標本室に来る前、わたしは海に近い田舎の村で、清涼飲料水を作る工場に勤めていた。それは浜辺に続くなだらかな丘の頂上にあり、周りは果樹園に囲まれていた。><最初、瓶の洗浄のセクションに半年いたあと、サイダーの製造係に回され、ずっとサイダー専門でやっていた。ベルトコンベヤーの具合を調節したり、不良品を取り除いたり、透明度をチェックしたりする仕事だった。>と書かれているサイダー工場の映像です。小川洋子さんはサイダー工場を見学されたことがあるのではないでしょうか。主人公はベルトコンベヤーに指を挟まれ、吹き出した血がサイダーを桃色に染めるのですが、そのシーンもしっかり映像化されていました。 主人公がサイダー工場をやめ、標本室に勤めることになりますが、その建物も原作の雰囲気を漂わせています。<コンクリートの四階建てでどっしりはしているが、外壁もアプローチのタイルもアンテナも、すべてがくすんでいた。どんなに目を凝らしても、真新しい部分を見つけることはできなかった。><窓は分厚く頑丈そうで、どれも磨き込まれていた。ひさしは角が面取りしてあり、角度によっては一続きの波模様のように見えた。所々に、そういう丁寧さを隠し持った建物だった。>小川洋子さんは、なにかの建物を観察してこのような細かい描写をされたのではないでしょうか。映像は三階建ての建物ですし、描写とは少し異なりますが、その雰囲気はぴったりです。そして原作に出てくる貼り紙も登場します。<『事務員を求む 標本作製のお手伝いをしていただける方 経験、年齢不問 この呼鈴をどうぞ』>標本技術士の弟子丸氏との面談シーンです。映画ではもちろんフランス人に変わっていますが。<標本に関わるようなものは何も見当たらなかった。そこで、面接が行われた。わたしたちは向き合って坐った。「はっきり言って、僕の方から聞かなきゃならない質問事項というのは、あまりないんです。もちろん、名前や住所くらいは知っておきたいですけれど、そういう形式的なことは、この標本室ではほとんど意味を持っていないんです。」弟子丸氏はお医者さんのような白衣を着て、ソファーの背にもたれかかり、腕を組んでいた。> 細かな部分は異なっているというものの、日本人でも理解するのが難しいと思われる原作の叙述を、見事なまでに映像化し、小川ワールドに引きずり込んでくれる作品です。 今回は、写真数と字数が記事の制限を超えそうなので、2回に分けて記事にいたします。続きは次回に。
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毎日新聞阪神版に椹野道流さんの特別展の記事が掲載
本日の毎日新聞朝刊に芦屋市立公民館展示場での特別展の記事が掲載されました。https://mainichi.jp/articles/20170831/k00/00e/040/195000c山本愛記者による記事です。<兵庫県芦屋市在住の医師で、作家の椹野道流(ふしの・みちる)さんの小説に描かれた芦屋市内の場所を撮影した写真と著書の特別展示が市業平町の芦屋市民センターで開かれている。阪神芦屋駅周辺が舞台の「最後の晩ごはん」シリーズ(角川文庫)は6月に8作目が刊行され、今後も続く予定だ。「展示をきっかけに親近感を持って作品も読んでもらえたら」と話す椹野さん。自分の住み慣れたまちをどんな気持ちで書いているのか尋ねた。><特別展示の会場には、「最後の晩ごはん」など約50冊と舞台となった市内の写真20点のほか、「椹野家の住人たち」と題して椹野さんの猫やイモリ、文鳥などのペット写真(5枚)も展示されている。9月1日まで。開館時間は午前9時~午後9時半。>全文は上記ウェブサイトで読むことができます。この記事は椹野道流さんご自身のtwitterでも紹介されていました。https://twitter.com/MichiruF?lang=ja残念ですが、椹野道流さんの芦屋市立公民館での特別展は9月1日16時ころ終了いたします。
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小川洋子原作・映画『薬指の標本』女子専用アパートの浴場はローマ風呂?
小川洋子『薬指の標本』で登場する標本室は、「初めてそれを見た時は、取り壊しを待っているアパートと思われるくらい古くてひっそりした雰囲気の、コンクリートの四階建ての建物」でした(映画では三階建て)。そこは昔、女子専用のアパートで、最後まで残った二人の老婦人はそのままで、標本技師が買い取った建物です。 映画では建物の説明は何もありませんが、この写真1枚で、昔は同じ制服を着た女性たちの寮の建物であったことをうかがわせます。『薬指の標本』で、この建物の浴場は重要なシーンを担っています。原作では、<弟子丸氏は何の説明もせず、「僕についてくるように」とだけ言った。彼が案内したのは、一階の一番奥にある浴場だった。そこに、女子専用アパート時代の浴場が残っていることは知っていたが、中に入るのは初めてだった。> 小川洋子さんは学生時代、小金井市にある金光教の女子寮に入られておられたので、その浴場をイメージして書かれたのでしょうか。 欧米の女子寮の浴場といえば、シャワールームを思い起こすのですが、どのようなシーンになっているのかと見ていると、ディアーヌ・ベルトラン監督は、何とローマ風呂のような浴場を用意してくれました。 ここで弟子丸氏(標本技師)は、古い靴を脱がせ、新しい靴に履き替えさえます。<わたしは浴槽の内側でぶらぶらしている自分の足先を見た。その靴はまだ清涼飲料水の工場で働いていた頃に、村の靴屋で買った安物だった。> 新しい靴の色は原作では黒ですが、映画では赤い靴になっていました。<彼は何も答えず、まだしばらく足を放そうとしなかった。靴の表面を撫でたり、リボンをきつく結びなおしたりしていた。「まるで、わたしの足型を取ってから作った靴みたい。でもどうして寸法が分かったんですか」「僕は標本技師だよ。足の寸法くらい、見ればわかるさ」>原作のブルーのタイル、蝶々の模様も映像化されていました。<一面をおおっているブルーのタイルは所々に濃淡があり、よく見るとそれが蝶々なのか不思議だったが、ブルーの色合いが上品だったので、奇異な感じはしなかった。蝶々たちは排水口の上や浴槽の側面や換気扇の隣や、あちらこちらに止まっていた。>そして、靴をはき替えて浴槽を歩く場面です。<「少し、歩いて見せてくれないか」彼はわたしを浴槽の底に下ろし、自分は縁に戻って腰掛けた。「二、三周、ぐるぐる回ってごらん」>更に、次の昔の浴室の描写も映像化されています。<「ここが昔、本当の浴室だった頃のことを想像すると、妙な気分になるよ」弟子丸氏が言った。「すべてが湯気の中に霞んで見えて、ガラスは水滴に濡れ、浴槽はお湯で満ちている。笑い声や、水の流れる音や、石けん箱の落ちる音が響き合って、女の人が何人も何人も、蛇口の前に並んで身体を洗っている。しかもみんな裸なんだ」「その中に、309号室婦人も、223号室婦人もいたのね」「そう。だけど、あんなおばあちゃんじゃない。二人とも今の君と同じくらい若いんだ」>この原作を見事に映像化した映画を観ると、小川洋子さんが「この映画をみた時、私はなぜかたまらなく懐かしい気持ちになった」という言葉がよくわかります。
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フランス映画『薬指の標本』で和文タイプライタ―活字盤に代わる小道具は?
小川洋子さんの『薬指の標本』で、標本名を打つのに使う和文タイプライターの点検に業者が来て、活字盤が取り外され、机の上に置かれます。わたしがそれを元に戻そうとした時、<それを抱えたままタイプの方に一歩踏み出した時、視界の中を弟子丸氏の足が横切り、わたしはつまずいて活字盤を落としてしまった。活字が一本残らず床に散らばった。>という小説では一つの重要な場面となっています。しかし、フランスでは、当然仏語の電動タイプライター。さすがに和文タイプライターは使われませんから、映画化にあたってどうするのか思っていると、何と東洋文化を象徴する麻雀パイが登場しました。中国人が赤い布に包まれた麻雀パイを持ち込みます。 それを棚に置こうとした時、落として床一面に散らばる場面ですが、原作の和文タイプライターの活字盤が散らばるシーンを、麻雀パイを用いて映像で見事に再現しています。原作では、次のように描かれています。<それを抱えたままタイプの方に一歩踏み出した時、視界の中を弟子丸氏の足が横切り、わたしはつまずいて活字盤を落としてしまった。活字が一本残らず床に散らばった。><さあ、拾うんだ」彼が言った。決して冷淡な言い方ではなかった。むしろ諭すような穏やかさがあった。「一個残らず、元に戻すんだ」彼は足下にある活字を一個、靴の先で蹴った。それはわたしの前に、転がってきた。「麗」という活字だった。>明朝、依頼人が来るまでに、元通りにするよう命じられます。<弟子丸氏は腕組みし、わたしを見下ろしていた。一個の活字を拾ってくれるわけでも、升目に差し込んでくれるわけでもなく、ただじっと、わたしの折れ曲がった膝や、そんな格好でも決して脱げない革靴や、床を掃くスカートの裾を見張っているだけだった。彼の視線が、受付室の空気を全部支配していた。><彼の靴をこんなに近くで見るのは初めてだった。それはわたしがもらった靴と同じ意味で、完璧だった。彼の足を見事に包んでいた。どんなに小さなかたくずれも、汚れもなかった。>朝になってようやく元に戻し終えます。<「これで、全部だね」ようやく彼は見張りをやめ、わたしのそばに近寄ってきた。「一本残らず、元通りだね。長い間無音だった部屋の中を、彼の声が響いてきた。><彼はわたしの耳もとでひざまずき、肩を抱きかかえた。彼の腕は大きくて暖かく、気持ちよかった。腕の中では、身動きできない方がかえって都合がよく、安らかだった。余計なことを考えず、彼にされるままに任せておけばよかったからだ。>そしてこんな会話をします。<「夜は明けたのかしら」目を閉じたまま、わたしは言った。「ああ。もう朝だよ」「そう……」「君は一晩中、僕のために働いたんだ」「二人で朝を迎えたのね」「二人はまるでベッドにいるような会話を交わした。でもわたしたちは、本物のベッドになど入ったことはないのだった。>見事なまでの、原作の映像化ですが、和文タイプライターの代わりに麻雀パイを考えついたのは、監督のディアーヌ・ベルトランだったのでしょうか、それともフランス語版『薬指の標本』で既に麻雀パイに変えられていたのでしょうか、興味あるところです。
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読売新聞名言巡礼「須賀敦子」で関西では読めなかった記事
8月20日の読売新聞日曜版の名言巡礼 須賀敦子「きっちり足に合った靴さえあれば…」は東京では2面構成になっているのですが、残念ながら関西では「続きは「読売プレミアム」でと書かれて、2面側の記事は読めませんでした。YOMIURI ONLINEでも1面側も記事しか読めません。http://www.yomiuri.co.jp/life/travel/meigen/20170816-OYT8T50063.html?from=tw2面側の記事を入手し、日にちも経過しましたので、貼り付けさせていただきました。クリックすれば大きくなります。松本由佳記者が、須賀さんの編集者のお話や、小林聖心女子学院、夙川、香櫨園、西宮神社など西宮の名所を含め、うまくまとめた記事を書かれています。
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小川洋子原作・映画『薬指の標本』映像化された標本づくり名場面
小川洋子原作の『薬指の標本』はフランスの女性映画監督ディアーヌ・ベルトランにより、原作に忠実に映像化されています。 これまで紹介できていない標本にまつわる名場面をまとめました。原作をお読みの方は、想像した場面と比べてみてください。 まずわたしが何でもいいから一つ標本を見せてもらえないだろうかと弟子丸氏に頼んで、標本技術室から持って来たきのこの標本です。<「これが標本ですか」わたしはつぶやいた。「そうです。このきのこを持って来たのは、十六歳くらいの女の子でした。彼女は石けんの空箱に脱脂綿を敷いて、その中にきのこを三つ並べていました。一目見て、標本にするのなら急がなければ、と思いました。既に乾燥と腐食が始まっていたからです」弟子丸氏もわたしも、試験管を見つめていた。>次に楽譜を持って来た女性。<「特殊すぎるなんてことはありません。安心してください。これなら、二日くらいで完成しますよ」「でも、わたしがお願いしたいのは、楽譜そのものではなく、そこに記されている音楽、音楽なんです」>309号室婦人に楽譜を見せ、ピアノで弾いてもらえないだろうかと頼みます。<いよいよ演奏が始まる段になって、ここのもう一人に住人、223号室婦人も招待されることになった。彼女は元交換手で、今は毎日部屋に閉じこもって手芸ばかりしている、親切なおばあさんだった。><それは不思議な曲だった。依頼人はビロードで身体を包むような優しい曲……と言ったが、わたしにはもっと複雑で乾いた感じに聞こえた。><弟子丸氏は楽譜を筒状に丸め、試験管の中にしまい、コルクで栓をした。それから『26-F30774』番のシールをコルクに貼り、依頼人の望む音の標本は完成した。>きのこの標本を頼んだ少女が二つ目の標本を作ってもらいにやって来ます。<雨の降る朝、一人の少女がやってきた。長い髪を後ろで一つに束ね、オーソドックスなデザインのワンピースを着ていた。彼女は傘の先からこぼれ落ちる雨のしずくを気にしながら、受付室のドアを開けた。>その少女が頼んだのは彼女の頬にあるやけどの跡でした。<彼女の頬には火傷の跡があった。でも決して、ひどいものではない。模様の入ったベールの切れ端が被さっているような、目立たない、淡い火傷だった。その傷跡を透かして、彼女の頬の白さが見えてきそうなくらいだった。>原作通りの頬の火傷の跡でした。次に文鳥の骨を持って来たおじいさん。<「何ですか、これは」わたしは聞いた。「文鳥の骨さ」しわがれた声でおじいさんは答えた。「十年近く一緒に暮らしたんだが、おととい死んでしまった。老衰だ。しょうがねえな、寿命だから。火葬にしてやったんだ。残ったのが、この骨だ」>おじいさん私が履いている靴に気付きます。五十年も靴磨きをしているおじいさんからの忠告です。<「でも一つ、忠告しとく。いくらはき心地がいいからって、四六時中その靴に足を突っ込むのは、よくないと思うよ」「なぜですか?」「あまりにも、お嬢さんの足に合いすぎてるからさ。外から見ただけでも、怖いくらいだ。ずれがなさすぎるんだよ。靴と足の境目が、ほとんど消えかかっているじゃないか。靴が足を侵し始めてる証拠だよ」>そして冬になっておじさんおじいさんの所へ靴を磨いてもらいに行きます。<「おー、やっぱり思ったとおりだ」台の上にのったわたしの足を見て、おじいさんはうなった。「これは並みの靴じゃない。前よりも一段と浸食が進んでいる」「本当ですか」>火傷の少女の姿が見えなくなり、標本保管室をくまなくまわる場面です。<部屋番号をさかのぼればさかのぼるほど、引き出しのつまみも、試験管のシールも、標本も、中にこもった空気も、古くなっていった。キャビネットの間を歩くと、降り積もっていた時間が粉雪のようにふわふわと、足下から舞い上がってくる気がした。>そして最後にわたしが薬指を標本にしてもらいに、標本技術室の扉を開けます。ディアーヌ・ベルトラン監督は、見事に小川洋子さんの『薬指の標本』の世界を解読し、小川ワールドを映像化してくれました。 主演のわたし(イリス)を演ずるオルガ・キュリレンコも美しく、弟子丸氏(標本技術士)役のマルク・バルベの演技も素晴らしいものでした。最後にもう一度小川洋子さんの言葉を添えておきます。
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中世の建築物・貴族の館ビルズレー・マナー・ハウス
イギリスの建物として、どうしても見ておきたかったのは、シャーロック・ホームズやダウントン・アビーなどで登場する貴族の館、マナー・ハウス。 マナー・ハウスとは中世の荘園(マナー)において、地主たる荘園領主が建設した邸宅です。 コッツウォルズではヒドコート・マナー・ガーデンでイングリッシュ庭園を楽しむことができましたが、幸運にも湖水地方でストラット・フォン・エイボンから約3マイルのところにあるビルズレー・マナー・ホテルに宿泊することができました。1066年のノルマン・コンクェストの時代から、この荘園はTrussel家の持ち物で、当初は木製のマナー・ハウスだったようです。400年にわたってTrussel家のものだったマナー・ハウスは多くの人の手をわたり、修復もされず放置されていたようですが、20世紀の初頭に Sudeleyの第5代男爵Charles Hanbury Traceyによって修復されたそうです。この門の奥が母屋です。建築様式はエリザべサン・スタイル。玄関上部には家主を象徴する紋章が飾られていたはずですが、ホテルとなった現在はその上にランプが取り付けられていました。中に入ると、大きなマントルピースが迎えてくれました。庭に出てみましょう。100年の歴史がある装飾庭園がありました。装飾庭園から見たマナー・ハウスです。 シェイクスピアは、しばしばこのビルズレー・マナー・ハウスを訪れ、庭園を歩きながら詩や戯曲の構想を練り、図書室で『お気に召すまま』を書いたと伝わっているそうです。またこの荘園の広い敷地内に、11世紀に教会が建てられ、そこでシェイクスピアとアン・ハサウェイの結婚式が執り行われたとのことで、シェイクスピアとのつながりも深いマナー・ハウスです。2階の廊下には1600年代の主の肖像や、剣の飾りなどが掛けられていました。下に見えるのが食堂で、朝食はここでいただきました。典型的なイングリッシュ・ブレックファースト。少し取りすぎました。 わずか一泊でしたが、マナー・ハウスの雰囲気を楽しみ、もっとゆっくり過ごしたかったホテルです。
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