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Channel: 阪急沿線文学散歩
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大浦みずきの宝塚音楽学校時代を描いた阪田寛夫『ロミオの父』

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 詩人で芥川賞受賞作家の阪田寛夫の次女は元宝塚歌劇団花組トップスターの大浦みずきさん(本名;阪田なつめさん)です。残念ながら2009年に亡くなられたそうで、2014年11月8日まで、東京のご実家で「大浦みずき追想展」が開かれています。 http://office-mizuki.tumblr.com/  彼女の宝塚音楽学校時代の文化祭について、父阪田寛夫が『ロミオの父』という小品を書いています。 <「ロミオとジュリエット」のロミオ役を貰ったと彼の次女が電話をかけて来たのは、文化祭の一ヶ月前の十二月中頃だった。>と小説は始まりますが、阪田自身は三人称の「彼」として登場します。 宝塚音楽学校は次のように説明されています。<二週間先に行われる文化祭にはまだ他に歌だの踊りだの幾つかの演目がある筈だったが、大晦日も元日もその次の日も、次女は何の稽古もしなかった。彼女が自分で志望して入った関西にあるその学校は和洋の芸能を二年間みっちり教えこむところで、毎朝七時に登校して校舎の掃除から日課が始まるという厳しい教育をする。それでも彼の娘のように憧れて試験を受ける者があとを絶たない。ここを卒業すればその上にある女だけの歌劇団に入れるのだ。> 新校舎が落成したのは1998年ですから、1974年宝塚歌劇団に入団された大浦みずきさんがそれまで2年間学ばれたのは現在宝塚市立宝塚文化創造館となっている旧校舎と思われます。    文化祭の日が迫ってきて、妻から「行かなかったらきっとあとで後悔するよ」と言われて、「そんなら見に行ってやる」と当日ぎりぎりの時間まで家で仕事を仕上げて、東京から宝塚に向かいます。梅田から阪急宝塚線ではなく神戸線に乗ったようです。<ちょうど中間の特急停車駅で、支線に乗り換える為に地下通路へ降りかけて驚いた。彼の行き先は支線の終点で、今日文化祭をやる劇場がそこにあるのだが、遅い午後のそんな時間には考えられないほど大勢の乗客が、その時彼を追い抜いて階段を駆け上がり、彼の乗るべき電車に殺到した。> そうでした。西宮北口駅の神戸線と今津線がダイヤモンド・クロスだった頃はホームの移動は地下通路でした。 はるか昔の高校時代には踏切を渡っての乗換えもあったと記憶していたので、阪急西宮ガーデンズのジオラマを確認すると、大阪行きホームから今津線への乗換えと今津線のホームの渡りが踏切になっていました。  さて阪田は西宮北口駅で今津線に乗り換える大勢の乗客が宝塚音楽学校の文化祭に向かうのだと勘違いしたのです。 <電車が次の駅にとまり、人々は入って来た時から少しも気をゆるめないまま、いきなり逆方向に流れ出した、彼は思い出した。この駅の近くに厄除け開運の神社があった。今日がその年一度の祭りらしい。また驚いたことに人々の列の最後の背中がやっと扉から外へ消えた時、終点まで一緒だと最初彼が思い込んだ人たちが一人残らず出てしまっていた。> 大変な日に今津線に乗ったものです。   ガラガラになった電車で文化祭会場の宝塚大劇場に向かいましょう。  

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