野坂昭如の直木賞受賞作「火垂るの墓」に神戸一中の小松左京の姿が描かれているのはご存知でしょうか。
「海行ってみよか」と清太が節子を連れて満池谷から香櫨園浜に向かう途中、県道大沢線での場面です。<一直線に走るアスファルトの、ところどころに馬力がとまっていて、疎開荷物を出している、神戸一中の帽子かぶり眼鏡かけ小肥りの男が、むつかしそうな本を両手いっぱいにかかえて荷台に置き、馬はただものうげに尻尾をはねかしている、右へ曲がると夙川の堤防に出て、その途中に「パボニー」という店、サッカリンで味をつけた寒天を売っているから買い喰いし、………>と戦争中の小松左京の姿が書かれているのです。 小松左京は今津に引っ越す前は、西宮市若松町に住んでいました。
小松左京が住んでいた若松町は上の写真の県道大沢線と阪急神戸線が交差する左手にあり、小説のシーンは、満池谷の親戚の家から香櫨園浜まで歩く途中なので、このあたりの風景でしょう。その頃は阪急も高架ではなく、踏切番のおじさんがいたはずです。
若松町交差点の次の交差点は山手幹線ですが、当時この道はまだ開通しておらず、その次の交差点を右に曲がると小説に書かれている夙川パボーニがありました。
千歳町の夙川パボーニの前の道をまっすぐ行くと、戦時中は野菜畑になっていた夙川堤防にでます。
アニメ映画「火垂るの墓」では残念ながら神戸一中の小松左京の姿は出てこず、阪神国道の夙川橋の上のシーンに馬力が描かれているだけです。
戦後、野坂昭如と小松左京は夙川にあったラ・パボーニについて熱く語り合ったそうで、小松左京は「大震災’95」で次のように述べています。
<ラ・パボーニというのは、知る人ぞ知るモダンな喫茶店だった。阪急夙川駅を降り、夙川左岸の土堤をちょっと南下して、東へ下りるだらだら坂を下ってくると、南側に、紫紺の壁に黄色い未来派ふうのローマ字が浮き上がり、エキゾチックな観葉植物が外に並んでいて、一見どこが入り口かわからないようだった。この不思議な喫茶店は、若松町にあった私の家から歩いて十数分のところにあり、戦前、私は父や叔父に連れられて何度か入った。>
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