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Channel: 阪急沿線文学散歩
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キャサリン・ゴヴィエが描いた葛飾応為の物語

 キャサリン・ゴヴィエ『北斎と応為』(原題;The Ghost...

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谷崎潤一郎『潤一郎譯源氏物語』に欠かせなかった三姉妹

昭和11年1月、谷崎潤一郎は丁未子との離婚届を提出さしたあと、芦屋打出の家で松子と祝言をあげます。...

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谷崎潤一郎が『文章読本』など執筆した芦屋の家

昭和9年になって、ようやく根津と松子の間に離別の話がつき、谷崎潤一郎は芦屋市宮川町に、松子と松子の長女の恵美子を連れて移り住みます。しかし、そこでの生活は普通の夫婦生活とは異なり、谷崎が松子をミューズに祀り上げ、いわば『春琴抄』の佐助ごっこを繰り広げていたのです。...

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昭和9年谷崎が松子と暮らした芦屋の家

昭和9年3月になって、ようやく根津との間に離別の話がつき、長男の清治は父親の根津が、長女の恵美子は母親の松子が養育することになり、谷崎潤一郎は、武庫郡本山村北畑にあった文化住宅風の家から、武庫郡精道村打出下宮塚一六番地(芦屋市宮川町十二番地)に転居します。谷崎自筆の地図です。大谷晃一『仮面の谷崎潤一郎』からです。大谷晃一は『細雪』から、芦屋の家を描いた文章を引用し、紹介しています。<”蘆屋...

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『猫と庄造とふたりのおんな』モデルは丁未子に譲った愛猫チュウ

昭和7年10月には、既に谷崎潤一郎の心は二番目の妻、丁未子から離れており、友人の妹尾夫妻宛書簡から、松子と結婚するにしても当面は結婚の形をとらず、また丁未子にも確定として話さないほうがよいか、根津清太郎の心中もまだ不明、森田家で承諾するやも不明、丁未子へはどう話したらよいか、などと思案していたことが窺われます。大谷晃一『仮面の谷崎潤一郎』からです。<「かわいそうや」と妹尾は潤一郎に、丁末子が結婚する...

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谷崎潤一郎が阪急夙川の根津家別荘に移るまで

昭和6年、借金が山積し、3千円近い税金滞納もあった谷崎潤一郎は、武庫郡岡本梅ヶ谷(現・神戸市東灘区岡本)の家で、4月に二番目の妻、丁未子との内輪の結婚式を挙げますが、5月には丁未子を連れて高野山に上ります。記者には密教の研究のためと語っていたものの、実は、負債整理で梅ケ谷の家を明け渡すのが目的でした。...

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昭和34年グルマン・獅子文六が訪ねた神戸の名店

獅子文六は昭和34年に読売新聞に『バナナ』の連載をすることになり、神戸の取材をするとともに、ウマいものの所在を訪ねて歩きました。...

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獅子文六『バナナ』移情閣へ

神戸に出てきた龍馬は叔父の天源とキングス・アームスに行き、そこで叔父から、在日華僑最大の豪商と言われた呉錦堂の業績を聞かされ、「わしは、オマイをどないしても、錦堂さんのような大商人にしたい」と言われ、バナナ輸入のライセンスを無料で貰うことになります。...

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谷崎潤一郎は苦楽園六甲ホテルで執筆

関東大震災で芦屋市松ノ内町の伊藤甲子之助邸に一人で避難した谷崎潤一郎は、一旦横浜に戻り、上海丸で家族を連れ、大正12年9月22日に神戸に上陸し、再び伊藤甲子之助の家に落ち着きました。...

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『仮面の谷崎潤一郎』震災直後の宿泊先は芦屋の旧友の家

大谷晃一『仮面の谷崎潤一郎』は事実に基づいた評伝で、あとがきには、<小説的表現はあっても、作りごとは含まれていない。ただし、十分に故のある想像による断定などはしている。そして、初めの構想だった“関西における谷崎潤一郎”というのも崩したわけでもない。事実をつかむために多くのおうじ人に会って取材し、別に多くの人をわずらわせて調べた。参考文献を広く集め、これを一度は解体して組み直した。以上の人々と筆者にま...

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獅子文六『バナナ』昭和34年キングス・アームス

龍馬は、東京から神戸元町の叔父・天源の会社隆新公司を訪ね、挨拶のあと夕食に誘われます。<「今夜、何食う?」「何でもいいです」「ハナワの洋食、食うか。オリエンタル・ホテルの方、ええか」天源も、兄に似て、食いしん坊であるが、自宅の食事は、質素なところが、ちがっていた。「そんな家よりも、いつか連れていって頂いた、海岸通りのビール飲ませる店がいいな」「おウ、キング・ザームか。よっしゃ」天源の日本語は、関西ナ...

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獅子文六『バナナ』昭和34年こだま一号で神戸へ

獅子文六『バナナ』は昭和34年に読売新聞に連載された小説です。当時は、まだバナナの輸入が自由化されておらず、輸入割り当ての権利をめぐって、専門業者や、ニワカ業者がひしめき合って販売の利権が絡んでいる時代でした。...

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須賀敦子『作品のなかの「ものがたり」と小説』白眉の細雪論

須賀敦子『作品のなかの「ものがたり」と小説』は、『細雪』を何度も読んだ者にとっても、このような読み方があるのだと、思わず唸ってしまう解説です。それを少し紹介させていただきましょう。 『細雪』は谷崎潤一郎が円熟期に達した作品であり、源氏物語の影響もあるともいわれ、主題はいろいろな意味での「逝く春を惜しむこころ」にあるとされてきました。...

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須賀敦子『作品のなかの「ものがたり」と「小説」』須賀邸の一場面

谷崎潤一郎『細雪』の書評である須賀敦子『作品のなかの「ものがたり」と「小説」』について、中井久夫は白眉の『細雪』論と絶賛しています。...

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須賀敦子『星と地球のあいだで』アプリヴォアゼ

須賀敦子さんは、聖心女子大三年生の初級フランス語の授業で、サンテグジュペリの『ル・プティ・プランス』(星の王子さま)を、入手困難なため教科書を持たないまま勉強し、そこで習ったアプリヴォアゼ、apprivoiserという言葉がずっと心の中に残っていました。...

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須賀敦子『星と地球のあいだで』Le Petit Prince

先達て、NHK-BS世界のドキュメンタリーで『「星の王子さま」の誕生 ニューヨークのサン=テグジュペリ』が放映されていました。映像や写真をアニメーションにうまく取り込んで構成した作品で、感心しながら見ていました。そこで思い出したのが須賀敦子『遠い朝の本たち』に収められた『星と地球のあいだで』です。...

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中井久夫『阪神間の文化と須賀敦子』京阪神の文化

 京阪神の文化は、お互いに近いにもかかわらず伝統の基盤の違いにより、それぞれに異なる特徴があります。阪神間では、距離的な近さから、モダニズムの時代に京阪神の文化を享受できるという特別な世界ができあがります。...

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中井久夫『阪神間の文化と須賀敦子』阪神間の話し言葉

「阪神間」とはそこで暮らす人々の間でさえ定義が異なりますが、中井久夫は『阪神間の文化と須賀敦子』の第五節で「阪神間」の独特の文化について述べています。<さて「阪神間」とは何だろうか。地理的には大阪と神戸の間のことである。しかし、阪急神戸線の西宮北口までは大阪文化圏に属する。阪神文化圏とは、あの「匂いのちがうところ」、私の友人の定義ではいう六甲山の急な崖の南、東は南郷山から西は阪急ならば御影と灘区に入...

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中井久夫『阪神間の文化と須賀敦子』須賀さんの通学路

中井久夫『阪神間の文化と須賀敦子』四節では昭和11年ごろの須賀敦子さんの夙川の自宅から小林聖心女子学院への通学風景が描かれています。<かりに少女時代の彼女の幻を追うならば、やや浅黒い肌の少女が、朝早く家を出て、夙川教会の傍を通っていったはずだ。聖心女学院小林分校まで、通学に一時間はかかっただろう。白いブラウスに紺のスカート、ボタン留めの黒靴を履いて、冬季ならその上に紺のセーターを羽織っただろう。たぶ...

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中井久夫『阪神間の文化と須賀敦子』芦屋の家

中井久夫『阪神間の文化と須賀敦子』から続けます。阪急電車は夙川駅を過ぎて、芦屋川に向かいます。<電車は丘を一つ越し、細い宮川の谷を渡るころには、右手に六甲山の南東尾根がぐっと近づいてくる。今は整備された住宅地になっている宮川の谷に沿う道は、当時から六麓荘に登る舗装道路だったが、両側は棚田だった。芦屋の住宅街はその右側から始まっていた。>西へ向かう阪急電車は夙川駅から切通しを通り、写真の翠ケ丘を越えて...

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